祭り寿司がどのように生み出されたにせよ、一つはっきりと言えることがあります。みんなで分けなければ食べきれない、ということです。複雑な模様に気を取られていると、かなりの量のご飯や具材が使われていることに気づきません。1人で丸々1本食べるのは至難の業です。手でつまんで食べるこの食べ物は、会話を弾ませながらいただくのが一番です。
私たちのグループもそうしようと、集まりました。近頃再生された水田を見下ろす古民家で、祭り寿司を作る技法を共に学んだのです。畳の部屋に入ると、ご飯や様々な具材が入っている色とりどりのボウルがいくつかの座卓の上に並べられていました。祭り寿司を初めて巻いたという人もいれば、祭り寿司を食べた子供の頃を思い出す人もいました。一度は放棄された田んぼを見下ろす民家で、私たちは伝統を守るすべを学びました。
講師は細巻きを作ると、今度はまた海苔を大きく広げ、白い酢飯で覆いました。その上に、千葉市内の一角で300年以上にわたって栽培されてきた「土気最高のおもてなし
砂糖がまだぜいたくとされていた時代には、すしのように甘い味付けの食べ物を振る舞うことは、最高のおもてなしとされていました。そのような歴史は今も守られていますが、現代日本人の食生活に合った味付けや模様の祭り寿司も広がっています。私たちは、伝統的な具材にツナとマヨネーズを加えてみました。正統派から見れば、邪道と映るかもしれませんが、講師は繰り返しこう述べていました。見た目の美しさとか、模様が凝っているかが問題なのではない。おいしくなければ意味がない、と。
私にとっては、我々のまちに息づいているものに実際に触れてみることが大事でした。目も味覚も楽しませてくれる祭り寿司は、千葉の過去と現在―もともとはなかった味と地元の風味―が共に巻かれています。滋養も純粋な喜びも与えてくれます。
講師は最後に、からし菜の間に挟まれるように細巻きを置きました。それから巻きすを巧みに使って、丁寧に一つに巻き上げました。外側の層が少しずつ中核を巻き込み、海苔の端と端が寸分も狂わずにぴたりと合いました。
講師はその重々しい巻き寿司を二つに切ると、その断面を私たちに見せてくれました。すると、最も控えめな参加者たちも大きな喜びの声を上げました。巻き寿司の中に、バラが咲いたかのようでした。
祭り寿司を作ってみて感激しないということはあり得ませんし、それを自分の知っている人たちに伝えないというのも無理な話です。あの断面を見て、笑みを浮かべない人はまずいませんし、祭り寿司に手をかけることによって、どのような言語よりも感謝の気持ちと愛を伝えることができるのです。手がかかることがまた、商業化をかなり阻んでいます。ですから、祭り寿司を試すチャンスがあったら、逃さないようにしてください。あなたを迎えてくれた人が心を込めて千葉の正統な歴史、文化、そして最も重要なところですが、喜びをあなたと分かち合おうとしていることになるからです。
(協力:自治体国際化協会、写真はトリ・プロクターさん提供)
プロフィール
元・千葉市国際交流員
トリ・プロクター(Tori Proctor)
米テキサス州プレイノ出身。2015年に交換留学生として初来日。当時は異文化で地域活動がどのように行われているのか知見を深めたいという思いから、北海道でアイヌ文化や社会運動の研究、東京ではホームレスの人たちを支援する活動に取り組んだ。日本での支援活動に触発され、学業を終えると、直ちにJETプログラム(外国青年招致事業)を通じて再来日し、2019年7月まで千葉市の国際交流員(CIR)を務めた。自分にとっては、千葉市がただ一つの住み家になったという思いがあり、今も市内に住む。
「国際交流員ご当地リポート」は随時、「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)で各地に派遣されている国際交流員(CIR)からの寄稿文(英文)を募集しています。地方の魅力を広く内外に伝えるツールとして「紡ぐ TSUMUGU: Japan Art & Culture」をご利用いただきたいからです。寄稿をご希望される場合は、CIRの任用団体(担当課)から 紡ぐプロジェクト事務局(担当:松浦) までご連絡ください。
0%