別府は古くから温泉地として知られていますが、それ以前から、竹細工の拠点であり続けてきました。このことは、日本最初の歴史書である日本書紀にも書かれています。第12代天皇(景行天皇)が九州南部で熊襲を征伐した帰りに立ち寄った別府で、お供の台所方が良質の竹がふんだんにあることに気づき、籠を編んだといった記述があるそうです。これが別府の竹細工の始まりとされています。
江戸時代になると、別府の温泉はすっかり有名になりましたが、全国から人々が訪れるようになるに連れ、ちまたで売られている美しい竹細工が知られるようになりました。需要が高まり、竹細工は地場産業に発展しました。
1967年には、生野祥雲斎が竹工芸では初めて「人間国宝」(重要無形文化財保持者)に認定され、79年には、別府竹細工そのものが「伝統的工芸品」に指定されました。
別府竹細工は8種類の基本的な技法が指定されています。
竹は工芸品と同様、紙、レーヨン、竹炭、活性炭などの良質な資源にもなり、石炭の70%、石油の50%という発熱量を有しています。そのため、持続可能な燃料にもなり得ます。また、竹の成長は非常に早く、発芽から成竹になるまで2~3か月しかかかりません。そして、竹の根は広範囲に拡がり、樹木以上に強く土壌に根を張るため、竹林は土砂崩れを防ぐ役目も果たします。
素材としては、硬そうに見えますが、実はしなやかで、縦に細く割って竹ひごにすれば、工芸に使えます。工芸品は、青竹でも、加工された竹でも作ることができます。竹を加工するには、油を抜いて日にさらし、白竹にします。そうすれば、染色したり、漆塗りを施したりすることができます。青竹で作った工芸品は青物、加工された竹(白竹)で作られたものは白物、染めたり、漆を塗ったりしたものは黒物と呼ばれています。
世界には約1,200種類の竹がありますが、日本にはそのうち約600種類があります。ただ、日本の竹の9割はマダケ、孟宗竹、淡竹のうちのいずれかです。大分県は、日本で最も豊富なマダケの生産量では全国一です。別府では、主にマダケと孟宗竹、それに黒竹と呼ばれる別の種類の竹を工芸品に使っています。
1938年に開設された大分県立竹工芸訓練センターは、竹工芸の後継者を育成する唯一の公的教育機関で、竹工芸をマスターしようという人たちが全国各地から集まってきます。2013年には、1年制から2年制に移行しました。竹細工を学びたい人たちのため2年間のコースがスタートしました。1年生の4~5月の最初の2か月間は、竹の加工方法を主に教わりますが、6月からは月ごとに課題が与えられます。別府市竹細工伝統産業会館(1994年開館)もあって、竹を使った道具や歴史に残る作品が展示されているほか、竹の教室も開催されています。
別府市竹細工伝統産業会館で現在講師を務めているのは、伝統工芸士の油布昌伯さんです。祥雲斎が師事した佐藤竹邑斎の弟子だった油布竹龍を父に持つ2代目の竹工芸家だそうです。昌伯さんは小学生だった頃に工芸品(竹籠)を作り始め、中学校時代には名人の域に達し、別府で評判となる様々なスタイルの花籠を作るようになりました。近頃は、竹の根などを使った大胆な作風の籠がよく知られています。
別府は毎年、若い工芸士を輩出し続けているという点で、日本ではほかにあまり例のない都市と言えます。その若い工芸士たちはまた、斬新な作品を生み出すことによって、長く続いてきた伝統を維持しています。こうして、別府の竹細工は、竹が生い茂るように、いつまでも発展し続けることができるのです。
(協力:自治体国際化協会、写真はエラ・ドナルドソンさん提供)
プロフィール
大分県別府市国際交流員
エラ・ドナルドソン(Ella Donaldson)
英国ポーツマス出身。別府市役所の国際交流員(CIR)としては2年目。英語を話す外国人のために市役所の様式や書類を翻訳したり、英文書類をネイティブとして校正したり、地元のイベントをPRしたりすることが主な職務。
「国際交流員ご当地リポート」は随時、「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)で各地に派遣されている国際交流員(CIR)からの寄稿文(英文)を募集しています。地方の魅力を広く内外に伝えるツールとして「紡ぐ TSUMUGU: Japan Art & Culture」をご利用いただきたいからです。寄稿をご希望される場合は、CIRの任用団体(担当課)から 紡ぐプロジェクト事務局(担当:松浦) までご連絡ください。
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