昨年10月22日、御即位を内外に広く宣明する「即位礼正殿の儀」が執り行われた。当日は祝日扱いの休日となったことから、テレビやインターネットなどでご覧になられた方も多かったであろう。あれから早1年。日本が、というより、世界がこのように変わるとは予想もしなかった。あの日の晴れやかな心持ちを少しでも思い出すことができるように、意匠を凝らしたボンボニエールが一番多く作られる機会である御即位のお話をしよう。
大正大礼については、すでにお話ししている( ⇒ 【ボンボニエールの物語vol.6】大正4年 大正天皇の即位の物語)ので 、今回は、昭和天皇の御即位のボンボニエールについてである。
昭和天皇の御大礼(即位礼と大嘗祭の諸儀式)は、大正の御大礼を踏襲し、京都で行われた。昭和3年(1928年)11月10日に即位礼、大嘗祭を14日から15日にかけて行った後、11月16~17日の2日間にわたって大饗が催された。大饗の宴会場は大正時の二条城からかわり、京都御所東側に仮設された。
11月16日の「大饗第一日の儀」では、各地方の特産物による和食が供され、大正時より下賜されるようになった銀製の挿華が列席者の席に置かれた。大正の挿華は桜と橘であったが、昭和の挿華は清涼殿の漢竹・呉竹と仁寿殿の梅に因む、竹と梅。純銀板と銀線で造り、彫金が施されている。大正時に勝るとも劣らない繊細な美しさである。
11月17日には、昼に「大饗第二日の儀」、夜に「大饗夜宴の儀」が行われ、昼は203人、夜は2779人がそれぞれ参列した。いずれも大正時から始まった洋食による饗宴である。
「大饗第二日の儀」の献立のうち、スッポンのコンソメスープ、鱒の酒蒸し、七面鳥のロティ(炙り焼き)は大正時と同じだが、大正時にザリガニが逃げて話題となった「ザリガニのポタージュ」は姿を消し、牛フィレ肉のステーキとおとなしいものとなっている。そして、「大饗第二日の儀」参列者約200人に下賜されたのが、冒頭の画像、雅楽太鼓形ボンボニエールである。大饗会場に置かれる雅楽用の鼉太鼓を模しており、ボンボニエール史上一番、手が込んでいるともいわれる。
鼉太鼓は雅楽太鼓のうち最大のもので、太鼓の周囲を宝珠形の雲形板で囲み、さらにその外側をおびただしい数の火焔が取り巻いていることから、火焔太鼓ともよばれる。太鼓の革面に三つ巴を描き、その周りに二頭の竜、雲形板の頂上には日輪の飾りを掲げる左方太鼓と、革面は二つ巴で2羽の鳳凰が刻まれ、頂上に月輪の飾りの右方太鼓があり、つねに左方・右方一対で用いられる。
さすがに、ボンボニエールは1種類しか作成されなかったようで、右方太鼓のものしかないが、金色の二つ巴が描かれた太鼓を銀糸でつり、その周りを彫金された銀の雲形と2羽の鳳凰、そして火焔が取り巻く。月輪の飾り部分は取り外せるので、この部分が紛失してしまっているものも多い。舞台の部分が引き出しになっており、ここに金平糖が入る。
夜宴の儀で下賜されたのは、釣灯籠形ボンボニエール。大嘗宮で用いられる玄木灯籠を模したものである。
天皇が東京へ還御の後、12月7日から5日間行われた宮中饗宴で下賜されたのは、威儀鉾形ボンボニエールである。即位礼の際、宮殿中庭に並べられる幡をかたどっている。
昭和の即位関係のボンボニエールは、雅楽太鼓形が530個、釣灯籠形が3320個、威儀鉾形が5195個発注・制作された。相見積もりの結果、雅楽太鼓形と威儀鉾形が服部時計店に、釣灯籠形が山崎商店に発注された。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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