2月23日は令和となって初めての天皇誕生日(祝日)! しかも陛下は「還暦」をお迎えになるのである。おめでとうございます!
いまから60年前、昭和35年(1960年)2月23日、当時の皇太子・
前回の高松宮の物語でもお話ししたように、皇室では両親のもとを離れて育てられることが慣例であった。しかし、ご両親である現上皇、上皇后両陛下の強いご希望により、浩宮さまは乳母をつけることもなく、ご両親と同居し、育まれることとなったのである。これは長い皇室の歴史始まって以来の大きな出来事であった。
当時皇太子・同妃殿下でいらしたご両親は当然のことながら多忙で、さらには浩宮さまが7か月の頃に日米修好通商100周年記念のためにアメリカへと行かれることとなった。しかも16日間という長きに渡る旅である。美智子さまは、幼い浩宮さまを日本に残して旅立つにあたり、侍従や女官たちに、浩宮さまの生活・育児に関する細かな内容を書いたノートを託された。このノート、陛下のお名前から「ナルちゃん憲法」と呼ばれることになった。
その内容は「1日に1回くらいは、しっかりと抱いてあげてください。愛情を示すためです」というものから「コップにすこしだけビンから注ぎ、『ナーイ』にしてちょうだいと言うと、一生懸命飲んで『ナーイ』と見せてくれます」と、当時牛乳が苦手だった浩宮さまにいかに牛乳を飲ませるかという作戦まで、多岐にわたるのである。「ナルちゃん憲法」は皇室の育児書として世間の話題をさらい、単行本にもなっている。
その後、すくすくとお育ちになった浩宮さまは、昭和39年(1964年)学習院幼稚園に入園された。その同じ年の11月1日に「
「着袴の儀」は皇室の伝統行事で、数えの5歳の年に初めて袴を身につける儀式。一般の七五三にあたる。袴を着けた後、袴の上に
この一連の行事が無事に終了した後、11月4日には皇太子・同妃殿下主催の祝宴御内宴が行われ、碁盤形ボンボニエ―ルが列席者に贈られたのである。大きさ4.3×5.0×3.1センチのミニチュアの碁盤形で、側面には天皇家紋が、反対側には浩宮さまのお印である梓文があしらわれている。御内宴に出席されたのは、天皇・皇后両陛下をはじめとする皇族方17人。したがって、このボンボニエールは予備を含めても、20個ほどしか作られなかったと思われる。
この碁盤形ボンボニエールについて、陛下ご自身が文章を書かれている。
「皇室では、4歳になると袴を着ける儀式を行う。民間でいう七五三に当たる。儀式は、碁盤の上から飛び降りることによって終了するが、私は、直前に行われた東京オリンピックの体操競技を見ていたためか、体操選手のように手をあげて着地をしたように思う。
その時に作られたものは、銀製で碁盤の形をしていた。中には金平糖が入っていたが、なぜ金平糖が入っているのか、不思議に思いながら食べた甘い記憶もある。「着袴の儀」というと、私はこの碁盤からの着地を懐かしく思い出す。それとともに、碁盤形のボンボニエールを考えてくれた両親に感謝している」
『学習院大学史料館ミュージアムレター№40』
同年に開催された東京オリンピックは幼い浩宮さまに深い印象を与えたようで、思わず手をあげて碁盤から飛び降りたとは、とてもほほ笑ましいエピソードである。そして、ここにはボンボニエールのデザインがご両親、すなわち上皇・上皇后陛下によるものという、重要な示唆も含まれているのである。
陛下のご成長に伴って、ボンボニエールはこの後も作られた。そのご紹介はまた日を改めて、エピソードを含めてお話ししよう。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
0%