近世水墨画の最高傑作とされる長谷川等伯(1539~1610年)筆の国宝「松林図
高精細のデジタル鑑賞が楽しめる「TSUMUGU Gallery」を通して作品の魅力に迫るシリーズの4回目は、屏風がもともと下絵だったのではないかとの説について、東京国立博物館研究員・松嶋雅人さんの解説をもとに紹介する。
そもそも、この屏風自体がもともと左右一対の屏風ではなく、もっと大きな絵だったのではないか、との見方がある。
「おそらく寺院の方丈建築画の一周を巡らせる絵の中の一部です。それを切り取ってしまっているのが現在の形」。松嶋さんは松林図屏風の元々の形について、そう指摘する。
では、「下絵」説についてはどうか。松嶋さんは「そこも揺れると思います」と断定を避ける。下絵と考え得る要素も、本画と思える要素も、両面持ち合わせているというのだ。
それを解くカギは素材にある。
まず描かれた紙の質が、通常の紙質と違うという。本来は本画に用いるような真っ白な紙であるはずが、この作品は生成りの色で、所々にぼこぼこと粗い繊維が残っている。
「不思議な紙です。類例がない」と松嶋さん。そのうえで「最後に本画の白い紙に書くつもりで、やっぱり一段階前のもの(=つまり下絵)ではないかと思う」と語る。
では、墨はどうか。
TSUMUGU Gallery」>「詳しく知る」では、墨の濃淡によって林立する松の位置が描き分けられていることを、ズームアップ画像とともに紹介している。松の枝ぶりも、筆致にスピード感を持たせつつ、均質に、細やかに、松葉の線が引かれている。
「この墨が非常にいいんです。こんな墨を使っている近世・桃山時代の絵はない。すごく粘りがあって、絵画に使うのはもったいないくらいの墨なんですよ」。松嶋さんから驚くような答えが返ってきた。
まるで天皇が筆をとる書跡に用いられるような、良質な墨を使っているというのだ。
このことを踏まえると、松林図屏風が「下絵」だったと早計に判断するには、ややつじつまが合わなくなる。
考えれば考えるほど、謎が謎を呼ぶ松林図屏風。最終回の5回目では、作者の長谷川等伯自身の波乱に満ちた生涯について考えてみたい。
<vol.5「等伯、波瀾万丈の生涯」に続く>
高精細のデジタル鑑賞を楽しめる「TSUMUGU Gallery」では、松林図屏風のストーリーとともに細部までクローズアップして作品の魅力を味わえます。ぜひご覧ください。
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