安政6年(1859年)創業の「高室畳工業所」(京都市)は、千利休の流れをくむ茶道三千家の一つ、表千家の茶室に携わってきた。
昔ながらの藺草の良い部分だけを使う「中継ぎ表」の畳は、表千家で使われてきた。京都迎賓館でも採用された本藍染めの麻で作られた
畳は、稲
6代目の高室節生さんは「材料の手配が一番大変」と語る。稲藁が粉々になる機械での収穫が主流になり、畳の材料にできる長さの稲藁が手に入りにくくなった。手縫いの糸の生産者も廃業するなど、畳に触れる機会が少なくなるなか、厳しい状況が続いている。
後継者不足も深刻だが、同工業所は、次女の夫の篠田初さんが7代目を継いだ。「技を10受け継いだら、11、12にして、次の世代に引き継いでいきたい。畳は日本人のDNAに刻み込まれている特別な存在。その良さをもっとアピールしていきたい」と力を込めた。
(2020年12月6日読売新聞より掲載)
0%