これまで、このコラムで約70種のボンボニエールの意匠を紹介してきた。香合形のシンプルなものから、牛車や複葉機形のように凝ったものまで、その時々の慶事にふさわしいデザインで制作されていたことをお伝えできたと思う。
では、このような素敵な形や文様は誰が考え、決定したのだろうか?
明治33年(1900年)に、当時の皇太子(後の大正天皇)が結婚した(【ボンボニエールの物語vol.3】 明治33年 皇太子結婚の物語)。その際の公文書である「皇太子殿下御婚儀書類」(宮内庁宮内公文書館蔵)には、宮内省出入りの業者に描かせたボンボニエールの図案画約40種が載っている。その中には、明らかに明治27年の明治天皇大婚25周年で下賜された皇室最初のオリジナルデザイン「鶴亀形ボンボニエール」(【ボンボニエールの物語 vol.2】明治22年 最初の物語)を踏襲したもの、実際の皇太子結婚の際に下賜されたもの、今まで見たことがない奇抜なものなどが描かれている。
このように業者に図案化させたものの中から「これ!」というものが選ばれ、実際に制作されたと思われるが、誰が「これ!」と決定したのかは、残念ながらわからない。
しかし、誰がデザインを決めたのかが明らかなボンボニエールもある。
昭和3年(1928年)、秩父宮雍仁親王・勢津子さまの結婚に際し、貞明皇后は内輪の祝宴を開き、鼓形ボンボニエールを列席者に贈った。勢津子妃は、その様子を次のように書いている。
「宴の後、宮さまと私にお手ずから賜りました。皇太后さま(貞明皇后)御自らデザインあそばしたとのこと。全長6センチくらいで、鼓の形というのも珍しく、締めひもとも呼ばれる調緒はローズピンク、胴の部分には、宮さまのお印の若松の模様と星の模様が、小さく幾つも浮き彫りにされております。(中略)鼓という古風な形でありながら、60年後のいま拝見しても、とてもモダンな感じなのです。(中略)皇太后さまのなみなみならぬアイディアとセンスに、つくづく感服せずにはいられません」
秩父宮妃勢津子『銀のボンボニエール』講談社、1994年
この記述によれば、ボンボニエールをデザインしたのは貞明皇后ご自身であるという。
昭和10年(1935年)の北白川宮永久王・祥子さま結婚の際のボンボニエールは、永久王のお印・玉(勾玉)と祥子さまのお印・紅梅が八稜鏡の上に描かれたもので、古代史マニア垂涎の一品。島根県立古代出雲歴史博物館で昨年開かれた「古墳文化の珠玉」展にも出品されたものである。
「北白川宮御慶事記念 玉御模様ハ王殿下御印 紅梅御模様ハ妃殿下ノ御印ニシテ立枠梅ノ御模様ハ妃殿下御五衣ノモノ 畏レ乍ラ大宮様ノ御考案遊バサレシモノナリ 昭和十年四月廿六日」
このように印刷された紙を伴っており、このボンボニエールも大宮様、つまり貞明皇后がデザインしたものであることが明らかになる。
その永久王・祥子さまが結婚後に初めて招かれた大宮御所での晩餐会で贈られたのは、貝桶形流水菊花葵文のボンボニエール。貝桶は貝合わせ(貝覆い)用の入れ物。貝合わせは、対となる貝以外とは組み合わせることができないことから、夫婦和合の象徴となり、婚礼調度の中でも、最も重要なものとされた。その貝桶に描かれた文様は、天皇家を表す菊と祥子妃の実家徳川家を表す葵文。このボンボニエールもおそらく、貞明皇后がデザインされたのであろう。
現在でも、宮中晩餐会の献立や飾り花については、皇后の意向が反映されると聞く。ボンボニエールにも、そのこまやかなお心遣いが感じられるのである。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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