日本の夏は暑い。蒸し暑い。現在はエアコンがあり、熱中症の予防のためにもできるだけ使用することが推奨されている。しかし、そんな快適な世の中になったのはここ数十年で、私が高校生の頃は「〇〇大学は教室にエアコンがあるらしい」という理由で、大学を志望した人がいたほど希少であった。そもそも、エアコンや扇風機のない時代の方がずっと長かったわけである。
そんな時代、日本人はどのようにこの厳しい夏を乗り切ったのか――。吉田兼好の「徒然草」には「家の作りやうは、夏を旨とすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪え難き事なり」という一節があるのをご存じの方も多いだろう。家をまず夏仕様で造ること、これが暑さ対策の基本であった。日本家屋では屋根の庇を長くし、部屋の外回りには縁側を配すことで夏の直射日光を防ぐ。部屋と部屋の間仕切りは壁ではなく、襖にし、開け放せば風が通っていく。このような工夫で夏を乗り切っていたのである。
それでもやはり夏は暑い。そんな時には涼し気な小物で涼を取った。
まずは団扇。団扇の歴史は古く、6~7世紀頃には既に中国から伝わったとされている。もっとも、この団扇は「翳」と呼ばれ、涼を得るためのものではなく、貴人の顔を隠すためのもの。高松塚古墳の壁画・西壁女子群像の先頭の黄色の装束を着た女子が持っているものが、この「翳」と言われている。
室町時代になると、竹と紙を素材とした現在の形に近いものとなり、戦国時代には軍配として、戦いの場でも使われた。
夏の風物詩となったのは、江戸時代のこと。涼を取ったり、風を送ったりするだけでなく、虫を払ったり、料理を冷ましたりと、様々な場面で使用できる便利な道具となった。祭りの際に全員が同じ団扇を持ち踊る、絵や文字を入れて店の広告媒体とするなど、涼を得る以外の役割も多く担い、「団扇絵」と呼ばれる美術も誕生した。団扇の形に浮世絵を刷ってから団扇の骨に貼り、広告としても用いられたものであるが、歌川広重や歌川国芳などが多くの作品を描いた。
広告の一種になるのであろうが、夏の京都で芸妓さんや舞妓さんの名前が朱色でかかれた白い団扇をご覧になったことがある方もいらっしゃるだろう。これは花街での夏の挨拶として、自分の名を記した団扇をご贔屓筋やお茶屋さん、料理屋さんなど、お世話になっているところへ配るという、粋な風情のある習わしである。
いわば、一般庶民の夏の味方の団扇であるが、皇室のボンボニエールにも登場する。何の饗宴に使用されたのかは不明だが、夏にこのボンボニエールをいただいたら、芸妓さんの名入り団扇と同じくらいうれしいだろう。
鳴く虫を籠に入れ、虫の音を聴いて涼を得ることも、古くからある風習である。万葉集には鳴く虫を詠んだ歌があり、「枕草子」や「源氏物語」にも虫の音を題材とした文が登場する。この「虫の音を聴く」風習もやはり中国由来だが、世界でも中国と日本だけにある文化という。
江戸時代になると、「虫の音を聴く」ことが流行し、「虫売り」という独自の商売も登場した。越冬中の鈴虫の卵を温めて早期出荷する高度な飼育技術まで開発され、初物好きの江戸庶民は競って初鈴虫を買い求めた。「虫売り」は昭和になっても続き、虫を売る露店や虫籠を担いで売り歩く行商人の姿が夏の風物詩となった。
鳴く虫だけでなく、光を放つ蛍も愛好された。特に明治~大正期には、庭園に蛍を放ち観賞する催しが流行する。山県有朋は近江・石山寺付近で蛍数千匹を採集し、邸宅である椿山荘(東京都文京区)に放ち、蛍観賞会を楽しんだという。
皇室の方々も蛍を愛でている。昭和天皇は、献上された蛍を宮城内御苑に放ってご覧になることを夏の催しとされていた。昭和2年(1927年)6月20日の蛍狩りの様子は「御夕食後、皇后と御一緒に御苑を散歩され、瓢箪池にて蛍(石山寺貫主鷲尾光遍より献上のもの)を放たれる。数千匹の蛍はさながら星を散布したかの如く、あるいは天皇の御帽子や皇后の御服にとまり、あるいは臣下の服に取りつきながら周囲を舞い飛ぶ」という幻想的なものであったことが「昭和天皇実録」に記されている。
そんな虫が入れられていた虫籠をかたどったボンボニエール。竹細工の虫籠同様に銀を編んで制作されている。1匹くらいなら、実際に虫を入れることもできそうである。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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