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2025.11.14

【皇室の美】「一行書」- 売茶翁ばいさおうが若冲に書き与えた一幅

売茶翁生誕350年特別展「売茶翁と若冲」(佐賀県立美術館)

「一行書」売茶翁筆 1760年(宝暦10年) 皇居三の丸尚蔵館収蔵

元僧侶で、京で茶を振る舞い周囲から売茶翁ばいさおうと呼ばれた高遊外こうゆうがいが、その晩年に伊藤若冲に書き与えた一幅。若冲は京都・錦小路の青物問屋の主人だったが、40で家業を弟に譲り、その後は画事に専念。直後に花鳥画30幅の制作を開始し、これが後の「動植綵絵さいえ」となる。

およそその半分が完成した頃、これを売茶翁が見る機会を得た。翁はその出来栄えに驚嘆し、若冲にこの一幅を授ける。いわく、(若冲の)絵画の腕前は神にも通ずる、と。「宝暦十年の冬至の日、八十六歳の高遊外が書き、若冲隠士に付す」とある。

冬至は一年でもっとも昼の短くなる日で、旧暦を使った当時は11月半ば。この時、おそらくは相国寺の禅僧大典顕常だいてんけんじょうも一緒だったろう。大典は若冲の画才を理解し、その活動を絶えず支えた親友で、この頃若冲の評伝「藤景和とうけいわが画記えのき」をまとめ、その中で「動植綵絵」に含まれる12幅についてつぶさに記録している。大典は完成済みの12幅をおそらく錦小路の若冲のアトリエで見たと推測され、これをぜひとも売茶翁にも見てもらおうと考えたに違いない。

当時、聖護院村に居を構えていた高齢の売茶翁は腰痛に悩まされており、ここからわざわざ錦まで歩くのは老体には厳しい。むしろ何かの折に売茶翁のいる場所へ若冲がいくばくかの作品を抱えて出向いたと想定する指摘が妥当に思える。相国寺など禅宗寺院では「陰極まって陽に転ずる」として冬至に無礼講を催したという。これに売茶翁も参加し、ここへ若冲が作品をもって訪れた。誘ったのは大典であろう。そんな情景を想像してみたい。

この3年前、若冲が描いた絹本墨画の売茶翁自賛像が現存し、その頃既に2人の交流があったとわかるが、自賛では若冲画に驚く様子は特にうかがえない。

国宝「動植綵絵 池辺群虫図」伊藤若冲筆 皇居三の丸尚蔵館収蔵
国宝「動植綵絵 池辺群虫図」 (部分)

しかし「動植綵絵」では違った。売茶翁は若冲とその作品のバイタリティーにすべく一気呵成かせいに一行をしたためたのだろう。この一行書を得た若冲は、同文の印を作り「動植綵絵 池辺群虫図」など自らの作品にしている。尊敬する長老から授かった言葉を心から大切にしたのである。(皇居三の丸尚蔵館特任研究員 朝賀浩)

売茶翁生誕350年特別展「売茶翁と若冲」
 【会期】11月24日(月・振り替え休日)まで
 【休館日】11月4、10、17日
 【会場】佐賀県立美術館(佐賀市城内)
 【観覧料】一般1500円、高校生以下無料
 【問い合わせ】0952・24・3947
 ※「一行書」売茶翁筆の展示は終了しました。「丹青活手妙通神」
  「動植綵絵」の複製品が展示されています。
 ※紡ぐプロジェクト公式サイト内「TSUMUGU Gallery」では、
  国宝「動植綵絵 池辺群虫図」を高精細画像で鑑賞できます。

(2025年11月2日付 読売新聞朝刊より)

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