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2023.1.12

【皇室の美】描かれ、写された明治の沖縄

1872年から1885年にかけて、明治天皇は全国各地を行幸された。いわゆる六大巡幸である。しかし、長期間の航海を要する沖縄に赴かれることはなかった。

そのため、1887年11月8日、明治天皇の命により、約ひと月半の行程で伊藤博文首相、大山いわお陸軍大臣、侍従の東園ひがしぞの基愛もとなるらは九州・沖縄などを視察するため横浜港を出港した。沖縄の視察目的は「民治及び民情を視察する」ためだったという。

「琉球東城旧跡之眺望」
山本芳翠 
宮内庁三の丸尚蔵館収蔵
宮内庁書陵部図書課図書寮文庫所蔵「各種写真」第十一より
「中城城内より遠望の景」

視察に関連して、洋画家の山本芳翠ほうすいによる九州・沖縄などの風景を描いた20点の連作画が1888年に制作され、同年から翌年にかけて3回に分けて、伊藤より明治天皇に献上された。芳翠は初代五姓田ごせだ芳柳ほうりゅうに師事したのちパリへ留学、ヨーロッパ滞在中に伊藤と親交を持った。本作はその縁で芳翠がパリから帰国して間もないころに制作された。

一方、視察では写真撮影も行われた。撮影した人物は判然としないが、鹿児島、長崎、広島、そして沖縄の風景や人々の様子が撮影され、のちに一冊の写真ちょうにまとめられて、今日に伝わっている。

芳翠の連作画と写真資料は、伊藤首相らの視察ルートと一致しており、かつての琉球王国の面影を垣間見ることができる。芳翠が遺したスケッチから、実際に沖縄を訪問したと考えられるが、伊藤に同行したのか否かは判然としない。

沖縄県関係写真のうち、崇元寺そうげんじ、首里城、中城なかぐすくの写真が、芳翠の連作画の場所と重なっている。特に「琉球東城ひがしぐすく旧跡之眺望」は「中城城内より遠望の景」と題箋だいせんに記された写真とほぼ同一の構図であることから、写真を参考に首里城の東側に位置する中城の城跡を描いた可能性が指摘されている。写真と油彩画の関係は、西洋の写実表現の移入に取り組んだ明治期の記録の在り方を考えるうえで興味深い。

かくして、明治天皇は当時としては新しい技術である、写真とフランス仕込みの油彩画を通して、よりリアルに臨場感あふれる沖縄の姿をご覧になった。

(宮内庁三の丸尚蔵館学芸室研究員 芳澤直之)

◆皇室の美と沖縄ゆかりの品々
【会期】1月20日(金)~2月19日(日)
【会場】沖縄県立博物館・美術館(那覇市おもろまち)
【主催】沖縄県立博物館・美術館、沖縄美ら島財団、宮内庁、文化庁
【特別協力】紡ぐプロジェクト、読売新聞社
【問い合わせ】098・941・8200

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