もと興福寺北円堂伝来といわれる四天王像のうちの北方天であるが、実際上の原所在は不詳。他の三体も現存する。兜を被った頭部は首を左方に傾け、眉根を寄せ、瞋目、開口する。厳しい視線は、右手を高く挙げて、掌に載せた宝塔に向けている。左手は下げて宝棒を執り、腰を右に捻り、右足は邪鬼の頭部を押さえ、左足は外に開き気味にして、邪鬼の尻を踏まえて立つ。瞋怒の目鼻立ちは生彩で、首が短く、太造りの体形をあらわすが、動きは若干控えめであり、充実した肉取りの表現とともに平安前期の一木彫を思わせる重厚さが感じられる。
構造技法は、体部を檜の一材から彫り、内刳りを施し、背面に背板を矧ぎ付けており、頭部は別材製として首部で体部と分かれる。瞳は別材を貼り付け、彩色仕上げとし、腰甲の小札は漆箔とする。これらの特徴は、一具であった増長天像とも共通しており、ともに平安後期の奈良仏師の手になるものと推測される。等身大の堂々たる、かつ充実した本像の表現は、平安後期から鎌倉初期にかかる南都の四天王像の一系譜を形成するものである。
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