9月2日に開幕する「国際博物館会議(ICOM)京都大会」の開会式で、半能「石橋 大獅子」が上演される。能楽小鼓方大倉流宗家で人間国宝の大倉源次郎さん(61)が、京都国立博物館が所蔵する「苅田蒔絵小鼓胴」(江戸時代)を使って演奏することが決まった。美術館や博物館に収められた楽器を実際に上演で使うのは珍しく、世界各地からの参加者らに400年前の音を届ける。上演を前に、大倉さんに今回の小鼓や上演への思いを聞いた。
大倉さんは、大倉流十五世宗家大倉長十郎の次男として生まれ、1985年に十六世宗家を継承。2017年に重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定された。
「博物館で大切に継承されてきた本物を拝見しました。非常に状態も良く、音も少し出したところ、深みのある、遠音をさす(遠くまで聞こえる)調子でした。使わせていただけるのはありがたいことです」
「苅田蒔絵小鼓胴」(直径9.8センチ、高さ25.2センチ、重さ450グラム)は、黒蝋色塗の地に稲穂を刈り取った田んぼの切り株が金蒔絵で描かれている。大倉さんは、そこに日本人の哲学や思想が表れていると指摘する。「普通なら(華やかな)花や実を描くところを、なぜ刈り取った後の株なのか。日本の主幹産業は稲作です。苗床を作り、皆で田植えをし、収穫して無事に蔵へ収めることで翌年の食糧を確保できたことになる。『苅田蒔絵』は刈り取った稲が無事に収められたという喜び、平和と豊かさを象徴しているのです」
しかも金蒔絵。「元々、鼓や太鼓といったお囃子の道具は田植えの際に使われていました。最高の技法が鼓に施されたのは、楽器には大変な作業を行う人々の心を奮い立たせ、作物にパワーを与える呪術的な意味合いもあったからだと思います」
小鼓は砂時計のような形をした胴に調べ(ひも)で革を固定させて打つ。今回、革は大倉さんが使っているものを利用する。「博物館の革は普段打ってないものですから、残念ながら使えません。普段使っている革は100年以上打ち込んだものです。父や祖父が買ってくれていたものを、僕が今舞台で使い、僕が今作ったものを、子や孫が舞台で、と大切に受け継いでいる。昔から火事になったら、鼓の革だけは持って逃げろと言われました」
大倉さんは、能や鼓の研究も行ってきた。「日本の伝統の柱は何かと考えると、古事記の万葉仮名や万葉集で読まれた和歌といった、美しい言葉作りだと思うんです。歌から物語が派生し、それが舞台芸術化されて能が生まれた。能から歌舞伎や文楽が広がっていきました」
開会式で上演される「石橋」は、唐の清涼山が舞台。現世と浄土をつなぐ石橋を訪れた寂昭法師の前に、文殊菩薩の使者である獅子が出現し、雄壮な舞を舞って千秋万歳を祝うストーリーで、祝賀の際に上演されることが多い。今回は前半をカットし、後半の見どころだけを見せる「半能」になっている。
「舞も音楽性も素晴らしい。たとえば、露が葉からぽたぽたと落ちて谷底へと吸い込まれていく様子を表現する『露の拍子』という、音のない部分もあるんです。音を出さない『間』を使って滑り落ちる様子を表している。後半の勇壮な獅子舞に目が行きがちですが、前半の静と動の違いも楽しんでいただきたい」
法師が石橋を前に理想郷を目指すというお話。「橋を越えるということは、人間が目的をもって理想へと向かうには、何かを乗り越えないといけないということの象徴になっています。『それはあなたにとっては何か』と問いかける能でもあります」
大倉さんは、博物館の収蔵品を演奏することを以前から希望してきたという。20代から海外各地での公演に参加し、ヨーロッパやアジアなどの美術館に能面や装束、道具(楽器)類が残されているのを知ったのがきっかけだ。
「今回、世界中のキュレーター、美術館の館長さんが集まる場で音を聞いていただくことで、この鼓の価値はさらに高まります。徳川の時代、大名家は室町期の能の名品を集めて家宝にしましたが、ただコレクションしたのではなく、来客があればそれでもてなし、付加価値をつけたのです。ICOMでの上演は文化の大切さをもう一度語り継ぐ良いきっかけになります。こうした取り組みが広がってほしいです」
(読売新聞紡ぐプロジェクト事務局 沢野未来)
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