狂言の10家(グループ)の中堅・若手総勢40人が出演する「第10回立合狂言会」が〔2024年〕2月25日、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で開かれる。全国で活動するほぼ全ての狂言グループが一堂に会する、年に1度の貴重な公演だ。会の世話役を務める大蔵流の大蔵弥太郎さん(49)と和泉流の野村又三郎さん(52)に、公演の意義、見どころなどを聞いた。(文化部 武田実沙子、森重達裕)
能、狂言における「立合」とは、元々は座(団体)ごとに優劣を競い合う上演形式のことを言った。結果次第で大名などの有力支援者を得られるかどうかが決まる真剣勝負だったという。
その言葉を使った「立合狂言会」は2015年、流儀や家・グループの垣根を越えて中堅、若手が
弥太郎さんと又三郎さんが世話役を引き継いで5年目。当初からの目標だった10家勢ぞろいが初めて実現する。週末になると狂言の会はもちろん、能の間狂言(アイ)に出演する狂言師も多く、これだけの人数を日曜の公演日に集結させる交渉は、相当前から進めてきたという。
狂言には「大蔵流」と「和泉流」の二つの流儀があるが、基本的には家(グループ)単位で活動している。「大蔵流の5家それぞれに演出家がいるイメージで、同じ演目でも家ごとに違いがある」と弥太郎さん。又三郎さんも「例えば、同じ『すし』でも銀座の名店で食べるのも、回転ずしも、カリフォルニアロールも全て『すし』と言いますよね」と芸風の差を例える。
弥太郎さんは「それぞれ自分の家で守っている狂言は何なのかを再認識する機会でもあります」と会を位置づける。一方、普段はほぼ交わる機会のない若手同士が仲間意識を育む場にもしてほしいという願いもある。楽屋では、家ごとに着付け方が異なる装束を、みんなで協力して着け合っているという。
2人が編成したプログラムは、能の「
弥太郎さんは「10の家がそれぞれ守ってきた狂言の良さをぜひ探してみてください」と話している。
午後1時開演。(電)03・6914・0325(平日正午~午後5時)。
【今回の演目】
第1部
「三本柱」狂言やるまい会(和)
「薩摩守」山本東次郎家(大)
小舞 相舞「放下僧」(大)(和)
「因幡堂」三宅狂言会(和)
「磁石」茂山忠三郎家 (大)
「禰宜山伏」野村万蔵家(和)
第2部
「福の神」茂山千五郎家(大)
「入間川」万作の会(和)
「岡太夫」善竹家(大)
小舞 相舞「景清」(大)(和)
「井杭」狂言共同社(和)
「首引」大蔵弥右衛門家(大)※ (大)は大蔵流、(和)は和泉流
伝統芸能を幅広く愛好している放送作家の和田尚久さん(52)に「立合狂言会」の見どころ、楽しみ方を聞いた。
狂言は小人数で舞台が成立するので個々の家で活動する機会が多く、ある程度、複数の家が合同で取り組む能よりも芸風の違いが出やすい。大蔵流と和泉流ではまず台本が違います。ただ、同じ大蔵流でも山本東次郎家は観客がいようと無人だろうと常に変わらない芸を追求していますし、茂山千五郎家は明らかに観客を意識した「間」で演じていると思います。
楽しみなのは、野村万蔵家と万作の会を見比べられること。根っこは同じ六世万蔵ですが、長男の野村萬(七世万蔵)はずっしりとした、次男の野村万作は軽やかな芸をそれぞれ数十年かけて確立した。(その弟子たちは)同じでも違う、という芸の受け継ぎ方が味わえるはずです。また、彼らの親戚で柔らかな芸風の三宅右近家(三宅狂言会)との違いも興味深いです。
同じ曲でも謡のように抑揚をつけて語る家もあれば、素に近い語りの家もあり、ミュージカルとストレートプレイぐらいの違いがある。それを意識して耳を傾けても面白いでしょう。
(2024年1月24日付 読売新聞朝刊より)
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