大阪・道頓堀の芝居町を象徴する劇場として、100年にわたって親しまれてきた松竹の直営劇場「大阪松竹座」が、設備の老朽化に伴い、〔2026年〕5月で閉館する。大阪に生まれ、関西の歌舞伎興行が不振だった青年期から、道頓堀で芸を磨いてきた歌舞伎
立役 の人間国宝、片岡仁左衛門さん(81)が、約30年前の再開場こけら落としで勤めた演目「盛綱 陣屋」を5月の最終公演で上演し、劇場に別れを告げる。(大阪編集委員 坂成美保)

1923年(大正12年)、関西初の本格的洋式劇場として誕生した大阪松竹座。戦後は映画館に移行し、97年に演劇専門劇場として再開場した。松竹は「上方歌舞伎再興の拠点」と位置づけ、劇場には若手育成の「松竹上方歌舞伎塾」を創設。仁左衛門さんの兄・秀太郎さん(2021年死去)らが熱心に指導した。

「映画館だった時代から松竹座の前を通るたびに『ここで歌舞伎をできたら』と思っていましたから、再開場時の興奮と熱気は特別でしたね。客席からも喜びが伝わってきました」
楽屋の設計段階から携わった愛着が深い劇場でもある。「窓が付けられる楽屋を名題下の役者さんや床山さん、衣装さんに譲り、幹部俳優は窓の代わりに障子を付け、圧迫感を和らげる工夫をしてもらいました」

昨夏の閉館のニュースに「まさか」と信じられない気持ちだった。「道頓堀から歌舞伎の劇場が姿を消すことは本当に寂しい」。「道頓堀から歌舞伎の灯を消さない」は、歌舞伎が低迷した60年代、私財を投じて「仁左衛門歌舞伎」を主催した亡父・十三代目から継いだ思いでもある。
大阪松竹座公演で仁左衛門さんは、ストーリーを分かりやすく伝えるため、地方劇場では珍しい通し狂言に取り組み、東日本大震災(11年)や熊本地震(16年)では、稽古を公開するチャリティーも発案した。
恒例の夏芝居で大阪入りする際には、道頓堀川を巡航する伝統行事「船乗り込み」にも参加してきた。「京都の
締めくくりの5月公演の演目には、再開場のこけら落としで演じた「盛綱陣屋」を選んだ。「大坂冬の陣・夏の陣」で敵味方に分かれて戦った真田幸村・信之兄弟を題材にした時代物。「大阪城や真田丸跡も近く、お客様もよくご存じの話。どんな気持ちで舞台に立つか今は想像もつかない。千秋楽に初めて劇場との別れを実感するでしょうね」
昨年11月には、文化勲章を受章。今年2月には、読売演劇大賞・芸術栄誉賞に選ばれた。伝承の重責を担い、後進の指導に力を注ぐ中、歌舞伎の未来への危惧もある。若手に求めるのは本当の意味の「革新」だ。
「六代目さん(六代目尾上菊五郎)や播磨屋さん(初代中村吉右衛門)ら先輩方は、
自らを奮い立たせるように言葉を継いだ。「伝統芸能は一度途絶えてしまえば再興できない。先人たちが築き上げた伝統に挑戦を続けながら、次代に伝えていかなければなりません」
大阪松竹座さよなら公演 「
御名残 四月大歌舞伎」(4月3~26日)と「御名残五月大歌舞伎」(5月2~26日)。仁左衛門さんは2か月連続で出演し、4月は、十五代目襲名披露演目でもあった「寺子屋」の松王丸を勤める。☎0570・000・489。


〈大阪松竹座〉
松竹創業者の一人、白井松次郎の発案で建設された。ネオ・ルネサンス様式のアーチ形外観から「道頓堀の
凱旋 門」と呼ばれた。大阪大空襲でも焼失を免れたが、老朽化のため外観を残して建て替え、1997年に再開場した。客席数は1033席。歌舞伎だけでなく、OSK日本歌劇団や松竹新喜劇の拠点劇場でもある。
(2026年2月25日付 読売新聞朝刊より)
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