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2023.9.30

一生に一度 己を超える―大槻裕一 能「道成寺」に挑戦

「道成寺」の見せ場の一つ「乱拍子」を稽古する大槻裕一(撮影・瀬野匡史)

能「道成寺」は主役(シテ)を勤める能役者にとって特別な演目だ。高度な技術の伝授を必要とする「習物ならいもの」の中でも重要な曲で、許しを得て初めて演じる「ひらき」は、古くから一人前の能役者としての「卒業論文」「成人式」と位置づけられてきた。観世流シテ方のホープ、26歳の大槻裕一が今秋、大曲の披きに挑む。(読売新聞編集委員・坂成美保)

重心を低く保ち、つま先やかかとを一定の角度に動かす「乱拍子」の場面は、「道成寺」の難関とされる。小鼓とシテ・白拍子だけの丁々発止の気のやりとり。「」が空間を支配し、続く「急之舞きゅうのまい」では一転して、激しくスピーディーに舞う。今回、小鼓方は人間国宝の大倉源次郎が担う。

「極限まで緊張を維持して、小鼓とお互いのイキをつかまなくてはならない。何度も稽古を繰り返すことで、白拍子の存在感を体に染みこませます。息切れ状態から、さらに謡もある。自分をいじめるような激しい稽古をしています」と裕一。大舞台に備えて、1年前から準備してきた。

師である人間国宝・大槻文蔵は「この曲は精神的に自分を追い込むことが必要。稽古を繰り返すしかない」と、「かた」の伝授だけでなく、役者の精神的な成長を促している。

クライマックスの「鐘入り」では、落ちてくる鐘の中に飛び込むという危険を伴う演技もある。鐘の中で、おもてを替え、後半は「蛇体」に変身して再登場する。「暗くて狭い鐘の中で、自分ひとりでの早変わり。終曲まで気を抜ける時がありません」

観世流シテ方 26歳ホープ
技術力、集中力、そして精神力。能楽師として学んだすべてが大曲で試される

おおつき・ゆういち
1997年、能楽師・赤松禎友の長男として大阪に生まれ、2000年に初舞台。05年に「俊成忠度」で初シテを勤める。13年、15歳の時に観世流シテ方・大槻文蔵の芸養子となり、大槻裕一を襲名。15年には「乱」を披き、22年には能狂言「鬼滅きめつやいば」で主役を勤めた。「道成寺」を上演する大槻秀夫三十三回忌追善「大槻文蔵裕一の会」は〔2023年〕11月12日午後1時、大槻能楽堂(大阪市中央区)。(電)06・6761・8055。

文蔵の芸養子になって10年。当時は15歳で、重責を完全には理解していなかった。責任感に目覚めたのは20歳になった頃から。文蔵がシテを勤める舞台に、ツレ(シテの助演)として出演する機会が増えてきた。

「シテの演技を最も近い場所で見ているのがツレ。その息遣い、謡の技術、すべてを盗むつもりで意識しています。稽古で教えてもらうことだけでなく、本番で見つけ出す経験が一番大きな財産です」と語る。

〔2023年〕6月に亡くなった大鼓方の人間国宝・亀井忠雄には「お前は棟梁とうりょうなんだよ」と励まされた。シテの家を継ぐ者は、大工の棟梁と同じで、舞台全体を引っ張る必要があるという意味だ。

「技術面だけでなく、人間性や知識量も求められる。最近は能の成り立ちや作者についての資料や古い謡本を読み、勉強しています。作者特有の癖やパターンを探す作業が理解を深めてくれる」。学んだ知識は、今回の舞台にも生かされる。

「『道成寺』は、子どもの頃から憧れの曲だった。披きは一生に一度きり。アンテナを張り、緊張感を保ち、体力、技術力のすべてを出しきりたい」。能楽界の未来の担い手として、気合十分で本番に臨む。

能狂言「鬼滅の刃」への出演など、若い世代に能楽の面白さを伝えている

◇道成寺 紀伊国の道成寺では、再興した釣り鐘供養が行われる。住職は「女人禁制」を言い渡すが、一人の白拍子が「供養の舞を」と申し出て、境内に入ってくる。白拍子は舞いながら鐘に近づき、鐘を落として中に入ってしまう。住職は、過去に鐘に隠れた男を、毒蛇となって焼き殺した女の話をして女人禁制の理由を明かす。僧侶たちの祈りで、鐘が引き上げられると、中から蛇体となった女性が登場し、日高川へ姿を消していく。

(2023年9月27日付 読売新聞夕刊より)

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