中村獅童は20歳代の頃、歌舞伎界では役に恵まれない不遇を経験した。父は早くに役者を廃業したため、後ろ盾がない。東西の人気役者が勢ぞろいする京都・南座の顔見世では、せりふのない端役が続いた。
ふてくされ、主役の夢を諦めかけていた時、滞在先のホテルに母の置き手紙があった。〈自分を信じなさい〉と書かれていた。
初めて「座頭」を勤めるチャンスが巡ってきたのは2015年9月の〔京都・〕南座公演。座頭は、出演者を束ね、演目選びから演出に至るまで、公演全体を取り仕切る。獅童には長年温めてきた企画があった。
それは、オオカミとヤギの友情を描いた人気絵本シリーズ「あらしのよるに」の歌舞伎化。絵本との出会いは、NHKの子ども向け番組「てれび絵本」で朗読を担当した03年まで遡る。
ちょうどその年、古典歌舞伎「義経千本桜・四の切」で、母狐を慕う源九郎狐役を演じ、動物が登場する歌舞伎の面白さを実感していた。「この絵本は歌舞伎になる」と直感した。
まず、母に打ち明け、2人で意気投合した。芝居好きの母は自ら企画書をしたため、松竹のプロデューサーに託したが、実現を見届けないまま、13年に急逝した。
草食動物を「えさ」としてきたオオカミが、嵐の夜に知り合ったヤギと心を通わせ、「食べたい」欲望を抑えて友情で結ばれる物語。
暗闇で互いを探り合う演出「だんまり」、色鮮やかな「隈取り」の化粧、拍子木の打音「つけ」に合わせる見得や立ち回り……。培った古典歌舞伎の演出や知識を総動員して、動物ファンタジーを紡いでいった。
新作歌舞伎「あらしのよるに」は大ヒットし、東京・歌舞伎座、福岡・博多座でも再演。今月〔2024年9月〕、絵本発刊30年を記念して再び南座で上演されている。
獅童演じるオオカミの「がぶ」は幼い頃、仲間になじめず、父オオカミのこんな言葉で勇気づけられる。〈おのれを信じ、おまえはお前らしく生きたらよい〉
悩める獅童に、母が与えてくれた励ましの言葉と同じだ。6月に初舞台を踏んだ息子たち、6歳の陽喜、4歳の夏幹と、この作品で共演する日も遠くないだろう。今度は自分が息子たちに伝える番だと思う。(編集委員 坂成美保)
◇九月花形歌舞伎 〔2024年9月〕26日まで、京都・南座で上演中。原作絵本「あらしのよるに」(きむらゆういち作、あべ弘士絵)は1994年に刊行され、シリーズは国内外で380万部を超えるベストセラーになった。
嵐の夜、山小屋で偶然出会ったオオカミの「がぶ」(獅童)とヤギの「めい」(中村壱太郎)は、雷鳴に震えながら、暗闇の中で語り合う。翌日、約束通りに再会を果たし、お互いの姿を見て驚くが……。
南座公演のチケットは(電)0570・000・489。12月には、東京・歌舞伎座の「十二月大歌舞伎」(3~26日)でも上演される。歌舞伎座公演のチケット発売は11月14日。
(2024年9月11日付 読売新聞夕刊より)
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