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2023.11.14

大蔵流狂言・茂山家精神 守り伝える ― 千五郎 息子たちに

京都御所にほど近い、閑静な住宅地にある茂山家の稽古場。型をおさらいする千五郎=河村道浩撮影

江戸初期から約400年の歴史を持つ大蔵流狂言・茂山千五郎家。十四世当主・茂山千五郎は、京都を拠点に約20人の役者たちを束ねる役目を担う。当主襲名から7年、現在51歳。格式ある能楽堂だけでなく、学校や祭り会場へも出向く「出前」の精神は、代々受け継がれ、庶民に身近な食材に例えて「お豆腐狂言」と呼ばれてきた。親から子、そして孫、ひ孫へ、守り伝えたいものがある。 (読売新聞編集委員・坂成美保)

「お豆腐狂言」 

庶民に親しみやすく 形あるもの崩さず

狂言の修業の道のりは、〈猿に始まり、きつねに終わる〉といわれる。幼少期に「靭猿うつぼざる」で愛くるしい猿を演じ、20歳前後で秘曲「釣狐つりぎつね」に挑み、一人前の狂言師として認められる。

「釣狐」では、着ぐるみ姿の千五郎(左)が軽やかなジャンプを披露する(2020年、撮影・芝田裕之)

「釣狐」は約1時間の大曲。着ぐるみにおもてをかけた狐の扮装ふんそうで、跳んだりはねたり。精神的、肉体的に追い詰められ、この曲でしか使わないかたを習得する。初挑戦の「ひらき」は「狂言師の成人式」と呼ばれてきた。

千五郎がこの曲を披いたのは、本名の正邦を名乗っていた1993年、21歳の時だった。以来繰り返し演じ、15回を数える。

隠居名の五世千作を襲名する父と同時に、当主名を襲名した2016年、披露曲に選んだのも「釣狐」だった。この時は、茂山家の最重要曲「極重習ごくおもならい」の3曲「釣狐」「花子はなご」「たぬきの腹鼓はらつづみ」を1か月の間に次々と上演する披露公演で、過去に例がなかった。

「以呂波」で初舞台を踏む千五郎(右は曽祖父の三世千作、1976年撮影)
極重習の「狸腹鼓」を披く千五郎(手前、2020年撮影)

それぞれに、秘められた教えがあるという。「『釣狐』では狂言師としての覚悟を問われ、『花子』でせりふ、謡、舞の技術が試される。『狸腹鼓』では、肉体的に苦しい極限の状態で、狂言師ならではの愛嬌あいきょうの演技を求められる」

「釣狐」には、4年前、74歳で急逝した父との思い出も詰まっている。序盤、猟師に狐狩りの殺生をやめさせるため、人間に化けて現れた狐が〈総じて狐は神にてまします〉と語る場面。父は「声をもっと大きく張りなさい」と注意した。

続く長ぜりふへの力配分を考えると「ここで張るのか」と驚いたが、今もその教えを守り続けている。「狐が一番言いたいせりふだと父は考えた。確かに力強く発することで、メリハリや緊張感が生まれ、観客を引き込む」

回を重ねるごとに、刻々と変化する狐の心情表現に工夫を凝らしてきた。「技法、精神力、体力すべてにおいて最高峰の曲。何度勤めても終わりがない。完成形が分からないところが一番の魅力です」

厳しく稽古をつけてきた長男・竜正たつまさと次男・虎真とらまさの双子の兄弟は19歳、大学生になった。三男・鳳仁たかまさは15歳。息子たちが「釣狐」を披く日もそう遠くない。

(左から)長男・竜正、次男・虎真に「靭猿」の稽古をつける(2012年撮影)=川崎公太撮影
頼もしく成長した(左から)長男・竜正、次男・虎真(撮影・桂秀也)
三男・鳳仁(左)との共演舞台(撮影・桂秀也)

「子どもに教えることで自分も試されてきた。感覚的な部分を、どうやって言葉に置き換えて伝えるか。『お豆腐』の家訓には、形あるものを崩さずに伝え残さなくてはいけない、との戒めも込められています」

しげやま・せんごろう

本名・正邦。1972年、五世千作(十三世千五郎)の長男として京都に生まれる。4歳で「以呂波いろは」のシテ(主役)を勤め、初舞台。89年に「三番三さんばそう」、93年に「釣狐」、2004年に「花子」、10年に「狸腹鼓」を披く。16年に十四世千五郎を襲名。受賞歴に咲くやこの花賞、文化庁芸術祭新人賞など。
落語家・桂よね吉とのふたり会「笑えない会」(〔2023年〕12月23日、大江能楽堂)で、狂言「無布施ふせないきょう」を上演する。(電)075・221・8371。

(2023年11月8日付 読売新聞夕刊より)

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