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2022.11.17

【上方舞の美 力強さと品格(下)】

教え守り新たな挑戦へ

   ◇井上八千代さんの長女 安寿子さん

初めて国立劇場の「舞の会」に出演させていただいた日のことは忘れられません。2011年11月、演目は地唄「八島」です。出演される先輩方に「おめでとうさん」と言われ、「私もスタートラインに立ったんや」と、身が引き締まる思いでした。

山村友五郎先生(上方舞山村流六世宗家)は「舞の会」を「舞のオリンピック」とおっしゃいます。各流派の精鋭が真剣勝負で競う場だと。お歴々のみなさまの中で井上流として舞わせていただく。責任の重みに、毎回とても緊張します。

京都では、狂言師・茂山忠三郎さんとの共同制作の舞台にも取り組んできました。コロナ禍にはユーチューブによる発信も試み、女性舞踊家4人で組んだユニット「京躍花きょうようか」で動画を撮影しました。

小雨が降る中、祇園の秋の伝統行事「温習会」の会場へ向かう(右から)八千代さん、安寿子さん

「足元を固めることが大事」という母(五世八千代)の教えを守り、京舞の品格を大事にしながら、新しい挑戦もしていきたいと思っています。

◇いのうえ・やすこ 1988年、京都生まれ。父は観世流能楽師・観世銕之丞てつのじょう、母は五世八千代。2013年、舞踊公演「葉々ようようの会」を発足させる。16年に伝統文化ポーラ賞奨励賞、19年に芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。

 
 

「強さ」の表現も様々に

   ◇上方舞山村流 六世宗家 山村友五郎さん

上方舞は振り一つにも、京・大坂の匂いや風情が漂っているものだと思っています。流祖・初代友五郎が大坂で創始したのは江戸後期の1806年(文化3年)。流祖は、歌舞伎役者・三代目中村歌右衛門の振付師として活躍しました。複数の役を早わりで演じ分ける変化舞踊を手がけ、せり上がりによる見せ場をつくるなど優れた演出力の持ち主でもありました。

山村流は能、人形浄瑠璃、歌舞伎などのエッセンスを取り入れながら発展し、花柳界の芸事や旦那衆の遊興、子女の習い事としても親しまれてきました。

上方で生まれ育った舞手の強みを、東京で発揮できる大切な公演が、国立劇場の「舞の会」です。若き日に祖母(四世宗家・若)の後見を勤めながら、その背中を見て学びました。祖母は晩年、足腰が弱っていきましたが、三味線の音が鳴れば、スッと背筋を伸ばして立ち上がり、舞い始めます。きっと身体に舞が染みこんでいたのでしょう。

母・糸(没後五世宗家・若を追贈)を早くに亡くし、1991年には祖母も86歳で他界したため、翌年、私は27歳で六世宗家・若を襲名しました。以来、あるべき宗家像は、記憶の中の祖母です。祖母の舞の残像が今も支えになっています。

流祖を意識するようになってから、女舞であっても「この振りは男性が創ったもんなんや」と気づき、曲へのアプローチの仕方が変わってきました。「五耀會ごようかい」では、東西の舞踊家の流派を超えた交流が刺激になっています。

歌舞伎、文楽、宝塚歌劇の振り付けも手がけてきました。宝塚の男役は素早い動きによって男性らしさを強調しますが、舞の場合は正反対で、ゆっくり動くことで強さを表します。様々な表現方法を知ることも振り付けの仕事の妙味です。

◇やまむら・ともごろう 1964年、山村流宗家の長男として大阪に生まれる。祖母の四世宗家・山村若、母・糸に師事。92年、母に五世宗家を追贈し、六世宗家・若を襲名。2014年に流祖・友五郎の名跡を襲名した。14年度日本芸術院賞受賞。20年に紫綬褒章。

 

上方舞 座敷でほこりを立てないように舞うため、身体の動きを抑え、心情を凝縮して表現する。人形浄瑠璃からの「人形振り」や歌舞伎舞踊の技法を取り入れながら発展した。歌舞伎の劇場で完成された歌舞伎舞踊の「踊り」が、跳躍などの垂直運動を中心とする振り付けであるのに対し、「舞」は旋回運動を重視している。三味線音楽・地唄(歌)に振りをつけた「地唄舞」が多い。山村流、吉村流、楳茂都うめもと流などがある。上方舞の中でも、京都で発展した京舞井上流は、能から移入した「本行舞ほんぎょうまい」を大事にし、花街・祇園の年中行事「都をどり」も支えてきた。

 
 

◆11月舞踊公演「舞の会―京阪の座敷舞―」

国立劇場の開場翌年から続く「舞の会」の初代国立劇場最後の公演を〔2022年11月〕26日に開く。上方を代表する4流(井上、楳茂都、山村、吉村)の家元・宗家が11年ぶりに集い、多彩な名作を通して、座敷舞の魅力を伝える。
12時開演の部、15時30分開演の部それぞれ8000円(学生5600円)。国立劇場チケットセンター(0570・07・9900)。

(2022年11月6日付 読売新聞朝刊より)

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