京・大坂で座敷舞として発展した「上方舞」は、抑制した動きで内面世界を表現します。中でも、能の影響が色濃い京舞井上流の五世家元で人間国宝の井上八千代さん(65)、長女で日本舞踊家の
舞はひとりの心の内から始まります。曲の心を知ることが何より大切です。描かれる世界は虚構であっても、真実の生、人の生きた証し、命の手触りのようなもんを、感じていただけるのが、京舞やと思って精進してまいりました。
井上流は代々女性の家元が継承してきました。女舞を自然体で表現するのが理想です。地唄舞の主人公の女性は、多くの場合、どこの誰かはっきりしません。筋らしい筋もなく、時代や場所も特定されない。それでも、ひとりの女性の物語が、ほの見えるような舞でありたいと願っています。
国立劇場は、10歳代の頃から私を育ててくれた舞台です。1967年にスタートした「舞の会」では、
私が初めて「舞の会」に出演させていただいたのは76年、19歳の時でした。祖母(四世八千代)が
演目は上方唄「相模あま」。大変思い出深い曲で、小学3年生の時、祖母にものすごく叱られた曲です。「おいどおまくり(着物の裾をまくり上げなさい)」と。お稽古に来られているみなさんの前なので、恥ずかしゅうて恥ずかしゅうて、ぽろぽろ涙がこぼれました。
着物を腰までまくると、足があらわになって、型ができていないことがはっきり分かるのです。「膝の割り方が違う」「おなかが折れていない」と厳しく言われました。
「舞の会」で地唄「
祖母は64歳でこの曲の舞い納めをしました。現在65歳の私は、まだ祖母の芸域には達しておらず、できれば70歳くらいまで舞っていたいと思っています。今月、国立劇場さよなら公演の「舞の会」でも舞わせていただくつもりです。
井上流は直線的な動きが特徴で、型を一つ一つ止めます。一つの型から次の型に移る「
表現の探求には終わりがありません。地道に稽古を重ね、曲を自分になじませ、あるところまで来たら、それを忘れていく。匂いのようなものを感じさせる舞台を目指したい。風がそよぎ、雪が舞う。風の音は聞こえないし、雪も見えないのに「冷たいなぁ」と感じさせるのが芸です。舞手が自身の軸を持ち、感覚を磨くしかありません。この身一つ、小さいもので大きな世界を表現できるのが京舞の魅力やと思います。
◇いのうえ・やちよ 1956年、観世流能楽師・片山幽雪(九世九郎右衛門)の長女として京都に生まれる。祖母・四世八千代に師事。2000年に五世八千代を襲名。15年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。18年、フランスの芸術文化勲章シュバリエ受章。
◆11月舞踊公演「舞の会―京阪の座敷舞―」
国立劇場の開場翌年から続く「舞の会」の初代国立劇場最後の公演を〔2022年11月〕26日に開く。上方を代表する4流(井上、楳茂都、山村、吉村)の家元・宗家が11年ぶりに集い、多彩な名作を通して、座敷舞の魅力を伝える。
12時開演の部、15時30分開演の部それぞれ8000円(学生5600円)。国立劇場チケットセンター(0570・07・9900)。
(2022年11月6日付 読売新聞朝刊より)
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