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2024.12.11

仁左衛門 せりふの極意 ― 元禄忠臣蔵「仙石屋敷」 京都・南座

仙石伯耆守の屋敷で浪士たちをねぎらった後、出立を促す内蔵助(中央、片岡仁左衛門)=いずれも川崎公太撮影

今年は、新劇の常設劇場で劇団名でもあった「築地小劇場」の誕生から100年にあたる。明治以降、西洋の近代劇を受容しながら発展してきた新劇と新歌舞伎。両方の先駆者となった歌舞伎俳優に、二代目市川左団次(1880~1940年)がいる。

左団次は、明治期に洋行して西洋演劇を学ぶ。帰国後の1909年、劇作家・小山内薫と新劇運動の原点「自由劇場」を発足させ、翻訳劇を上演した。

今月、京都・南座の顔見世かおみせで上演されている「元禄忠臣蔵」は、劇作家・真山青果が左団次のために書いた新歌舞伎。古典歌舞伎の名作「仮名手本忠臣蔵」を、近代劇の手法で再構築した全10編に及ぶ大作だ。

〈真山青果〉1878~1948年。新派の座付き作者として頭角を現す。膨大な史料を集めて執筆した連作「元禄忠臣蔵」は、松竹創業者の一人、大谷竹次郎の依頼で手がけ、1934年から上演。溝口健二監督によって映画化もされた。左団次没後も書き続け、41年に完結した。仁左衛門は「元禄忠臣蔵」の第5編「御浜御殿綱豊卿」で第1回真山青果賞を受賞している。

 

近代劇の特徴は、人物の心理や内面の葛藤に焦点を当て、せりふ、すなわち言葉によって完結していること。新歌舞伎は、明治期に「旧劇」と呼ばれた歌舞伎を特徴づけた見得みえ隈取くまどりなどの様式美や荒唐無稽な筋立てからの脱却を目指した。「元禄忠臣蔵」には、古典歌舞伎に欠かせない三味線や唄、鳴物なりものなどの下座音楽も入らない。

討ち入りに及んだ「初一念」を切々と語る内蔵助
内蔵助ら浪士から、討ち入りの様子を聞き取る仙石伯耆守(中村梅玉)

南座で上演されている第9編「仙石せんごく屋敷」は討ち入り決行直後の早朝を描く。片岡仁左衛門演じる主人公・大石内蔵助ら赤穂浪士たちは、幕府大目付・仙石伯耆守ほうきのかみ(中村梅玉)の詮議を受け、詳細に報告する。討ち入りの劇的場面が問答で再現され、観客の想像力に委ねられる。

終盤、問いは討ち入りの目的に及ぶ。内蔵助は長ぜりふで切々と、自分たちの行動は幕府への抗議ではなく、「吉良上野介を討てなかった」という主君・浅野内匠たくみのかみの無念を晴らすためだと説明。伯耆守は、内蔵助の情愛に心を打たれる。

卓抜したせりふ術で深みのある演技を披露した仁左衛門

仁左衛門は「長ぜりふは緩急、スピードの強弱によって、リズムをつける。せりふを意識しすぎず、気持ちでせりふを言う。言葉そのものではなく、内蔵助の心情が、観客の心に響くように」と極意を語る。卓抜したせりふ術、抑制の利いた演技は観客の共感を呼び、涙を誘った。

中村鷹之資(たかのすけ)が大石主税役で奮闘した

古典歌舞伎に新歌舞伎、シェークスピア劇から新派作品まで幅広いジャンルで成果を上げてきた仁左衛門。若い頃、左団次のレコードから、せりふの緩急や息継ぎを学んだという。「仙石屋敷」は、その芸の神髄に触れられる一幕だ。

(編集委員 坂成美保)

◇ 吉例顔見世興行 〔2024年12月〕22日まで、京都・南座。昼の部は「蝶々ちょうちょう夫人」「三人吉三」「大津絵道成寺」「ぢいさんばあさん」。夜の部は「元禄忠臣蔵・仙石屋敷」「かさね」「御所五郎蔵」「越後獅子」。出演は中村萬壽、鴈治郎、扇雀、錦之助、片岡孝太郎、坂東巳之助、中村隼人ら。16日は休演。☎ 0570・000・489。

片岡愛之助の舞台稽古中のけがを受けて、昼の部「大津絵道成寺」では、中村壱太郎かずたろうが代演。早替わりの変化舞踊を見事に演じきった

(2024年12月11日付 読売新聞夕刊より)

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