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2024.8.14

【歌舞伎座インタビュー】「まずは父たちの舞台を基にしながらお芝居を作り上げ、お客さんの反応を見ながら自分たちのものにしていきたいですね」―「八月納涼歌舞伎」で『ゆうれい貸屋』に出演している中村児太郎さん

東京・東銀座の歌舞伎座での「八月納涼歌舞伎」(〔2024年〕8月25日まで)。第一部の『ゆうれい貸屋』は、歌舞伎座では2007年8月の「納涼歌舞伎」以来の上演だ。その時の舞台で桶職弥六やろく、芸者の幽霊染次そめじを演じていたのは、十世坂東三津五郎さんと中村福助さん。17年後の今回、同じ役を演じているのが三津五郎さんの長男、坂東巳之助さんと、福助さんの長男、中村児太郎さんである。福助さんの監修のもと、父親たちが作り上げた舞台にどのように取り組んでいるのか。児太郎さんに話をきいた。(聞き手は事業局デジタルコンテンツ部・田中聡)

―― 三津五郎さんと福助さん、それに十八世中村勘三郎さんが共演した17年前の『ゆうれい貸屋』。今回の上演も、巳之助さん、児太郎さんに加え、中村勘九郎さんも出演。世代交代を強く感じさせる舞台になっています。どのような経緯でこの作品を上演することになったんでしょうか。

児太郎 昨年の「納涼歌舞伎」で、巳之助のお兄さんと『団子売』を踊らせていただいたのですが、その後に「来年も何かできたらいいね」というお話をしていました。大変ありがたいことに今年も巳之助のお兄さんと二人で演目を任せていただけることになり、巳之助のお兄さんから『ゆうれい貸屋』はどうだろう、とこの作品の名前が挙がりました。前回、勘三郎のおじが勤めた役を今回は勘九郎の兄が勤めてくださいます。

―― 前回の舞台はもちろんご覧になっていますよね。

児太郎 はい。父と三津五郎のおじさまの息の合ったお芝居が印象に残っています。「納涼歌舞伎」は勘三郎のおじと三津五郎のおじさま、父たちが中心となり盛り上げてきた公演で、その姿を近くで見ていた私としても思い入れが強く、出演することを目標にしてきた公演です。その公演で一つの演目を任せていただけるのはとてもうれしいです。

令和6年8月歌舞伎座『ゆうれい貸屋』芸者の幽霊染次=中村児太郎(©松竹)

山本周五郎氏の小説を原作にした『ゆうれい貸屋』は1959年(昭和34年)、桶職弥六が二世尾上松緑、芸者の幽霊染次が七世尾上梅幸という顔合わせで明治座で初演された人情喜劇である。歌舞伎作品としては、長く上演がなく、半世紀の時を経て復活させたのが、坂東三津五郎、中村福助のコンビだった。腕はいいが、 母親を亡くして以来、仕事をせずに酒に溺れている桶職人の弥六。なんとか夫を立ち直らせたい女房・お兼は、「自分がいると弥六に怠け心が生じてしまう」と実家に帰ってしまった後、突然現れたのが、辰巳芸者だった染次のゆうれい。弥六が昼間、喧嘩の仲裁をする姿を見て「惚れてしまった」という染次は「女房にしてくれ」といいだし、ふたりは店賃を払うために、他人に恨みを持つ人々に幽霊を貸し出す商売を考え出す……

―― 今回の上演では、17年前の公演でもこの作品を手がけられた大場正昭さんが演出を担当し、福助さんが監修を務めています。どんなアドバイスがあったのでしょうか。

児太郎 大場先生からは「芸者らしく、かわいらしく」と言われています。父からは幕が開いたら「お客さんの反応を見ながら、巳之助さんと話し合ってお芝居を作っていきなさい」とアドバイスをもらいました。『ゆうれい貸屋』は父と三津五郎のおじさまが作った舞台ですので、まずはこれを基にしていますが、17年前と今では社会の状況もヒトの心も変わっていますので、今に合うような形に台本の修正を行いました。弥六のやっていることは、いわゆる「ダメ男」ですので、ご観劇いただいたお客さまがイヤな気持ちを抱いて、後味が悪くならないように、「ほどよくやる」ということを心がけています。

――「芸者」も「ゆうれい」も、お父さんの得意分野。巳之助さんや児太郎さん、勘九郎さんの姿にお父さんたちの姿を重ねるお客さんも多いでしょう。

児太郎 それこそが、代々受け継がれていく伝統芸能の醍醐味ではないでしょうか。特に古典の作品はそうですね。私は「成駒屋」として、歌右衛門のおじさまや祖父(七世中村芝翫)から受け継いでいるものが多々ありますから。もちろん、時代に合わせて変えていくところはあると思いますが、まずはきちんと昔からの「型」を理解し、それを表現できるようにならないといけないと思っています。昔から受け継がれている「型」はいわば基礎ですので、基礎をしっかりと固め、上積みのできる役者を目指しています。

―― 時代が変わると、舞台を見るお客さんの感覚も変わって来ますからね。ただ単純に「型を守る」だけではいけないのかもしれませんね。

児太郎 舞台はご観劇いただいたお客さまに判断していただくものですので、「もう一度観に来たい」と思っていただくことが一番大事なことです。そのために、なるべくテンポ良く、お芝居を展開させることを心がけています。私は父を尊敬していますし、親子ですから、普通にお芝居をしていると父に似てくる。だからこそ、(坂東)玉三郎のおじさまやいろいろな先輩方からお芝居を教えていただき、自分にはない引き出しを増やすことが必要だと思っています。

令和6年8月歌舞伎座『ゆうれい貸屋』芸者の幽霊染次=中村児太郎(©松竹)

―― 次代の女方として、児太郎さんへの注目も高まるばかりですね。今後の目標とか、楽しみにしていることとか、何かありますか。

児太郎 役者としては、与えられた一つ一つの役と向き合い、勤めあげることを心がけています。楽しみ、といえば、来月の「秀山祭九月大歌舞伎」ですね。夜の部で玉三郎のおじさまが『妹背山婦女庭訓いもせやまおんなていきん』の『吉野川』の定高をお勤めになるのですが、このお芝居が好きで好きで……。2002年1月の歌舞伎座で玉三郎のおじさまがお勤めになられた時、私は小学生だったのですが、毎日のように舞台を拝見させていただきました。マネキンを買ってお風呂で「ひな流し」のまねをして、家族から「風呂場で首を流すのはやめて」と言われてしまったくらいです(笑)。また、昼の部の『摂州合邦辻せっしゅうがっぽうがつじ』の『合邦庵室あんじつの場』も好きなお芝居で、(尾上)菊之助のお兄さんの玉手御前がとても素敵です。拝見するのが楽しみで、「何度もさせていただきます」とお話をしています。好きなお芝居が二つも上演されるので、今から心待ちにしています。

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