襲名の「襲」は古来、「衣を重ねる」の意味を持つ。歌舞伎の名跡は、その名をまとった歴代役者たちの、いわば魂の集積で、芸の根幹をなす精神は、襲名によって個人の寿命をはるかに超え、継承されてきた。
昨年〔2022年〕11月、十一代目市川海老蔵が、大名跡・十三代目市川團十郎白猿を襲名した。今年の京都・南座「吉例顔見世興行」では團十郎の襲名披露が行われている。
家の芸「歌舞伎十八番」のうち、團十郎が勤めるのは「助六由縁江戸桜」と「景清」。
「助六」は、花道からの登場場面「出端」が眼目だ。團十郎演じる助六は、「むきみ」の隈取り、黒紋付きに緋の襦袢、江戸紫のはちまき姿で、蛇の目傘をパッと広げ、美しい見得を決める。けんかっ早い江戸っ子の野性味の中に柔和な色気も宿り、江戸歌舞伎の粋が凝縮されている。
一方、源平合戦を背景に敗者となった平家の武将を主人公にした「景清」では、荒事の勇壮さだけでなく、ダークヒーローの陰影を魅力的に描き出す。
歌舞伎十八番には、江戸期に上演が途絶え、明治以降に復活した演目も少なくない。当代の父・十二代目團十郎も復活に情熱を傾け、1980年の「外郎売」などを手がけた。死後は、当代が遺志を継ぐ形で「鎌髭」の復活を果たした。
歌舞伎十八番 江戸時代、七代目團十郎が市川家に伝わる18演目を選定し、團十郎家に代々受け継がれてきた。「助六」「景清」「外郎売」のほかに「勧進帳」「暫」など。超人的なヒーローが登場する勧善懲悪の物語が多い。得意芸を指す「おはこ」に「十八番」と当て書きするのは、歌舞伎十八番に由来するとされる。
顔見世の襲名披露は、当代の長男・八代目市川新之助の初舞台を兼ねる。2013年2月、十二代目が66歳で急逝し、その翌月に生まれた新之助は10歳になった。祖父の魂が息づく「外郎売」で、高難度の早口言葉を朗々と響かせ、大器を予感させる。
当代が名乗る「白猿」は、五代目團十郎の俳号にちなんだ名で、「猿は人間に似ているが人間に及ばない」の意を踏まえ、「自分はまだ父や祖父の足元にも及ばないという気持ちで、これからもっと精進する」との決意が込められている。
若くして父(十一代目團十郎)を亡くした十二代目は、芸に向き合う謙虚な姿勢を生涯貫いた役者だった。南座は最後の舞台を勤めた劇場でもある。その魂は当代に受け継がれ、大輪の花を咲かせている。
(編集委員 坂成美保)
市川團十郎白猿襲名披露・吉例顔見世興行
「助六」の舞台は、夜桜の見物客でにぎわう吉原。遊郭「三浦屋」の格子先に花魁・揚巻(中村壱太郎と中村児太郎の役替わり)がほろ酔い加減で戻ってくると、後を追って髭の意休(市川男女蔵)と子分たちが登場。意休は揚巻に入れ揚げているが、揚巻は江戸一番の男伊達・助六(團十郎)にほれていた。この演目で、浄瑠璃「河東節」が演奏されるのは成田屋の屋号を持つ役者が演じる時に限られる。
「景清」の主人公は「平家物語」や能「景清」でも知られる悪七兵衛景清(團十郎)。敵対する源氏方に恋人・阿古屋(中村雀右衛門)が連行され、責め立てられるのを見て、怒りを爆発させる。
〔12月〕24日まで、京都・南座。昼の部は「双蝶々曲輪日記」「外郎売」「男伊達花廓」「景清」。夜の部は「仮名手本忠臣蔵・七段目」「口上」「助六由縁江戸桜」。(電)0570・000・489。
(2023年12月13日付 読売新聞朝刊より)
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