明治から昭和初期にかけて活躍した上方歌舞伎の大看板・初代中村鴈治郎(1860~1935年)の舞台姿や後援会との親睦の様子などを撮影したフィルムが新たに発見された。多くは舞台袖の至近距離から撮影され、専門家は「リアルで細かい初代の芸質や鮮やかな動きがわかる貴重な資料」としている。
1920~30年代に撮影された16ミリフィルム51本で、いずれも無声の映像。国立映画アーカイブ(東京)の大傍正規主任研究員が2020年8月に東京・神保町の古書店で見つけて購入し、同アーカイブに寄贈。一部が6月下旬、近畿大であった日本演劇学会と同アーカイブの共催イベントで上映された。
初代鴈治郎の長男・二代目林又一郎(1893~1966年)が撮影したホームムービーで、松竹大谷図書館が管理する映像「初代中村鴈治郎 舞台のおもかげ」のオリジナルとみられる。現存する初代の動画は、この映像と大阪歴史博物館が所蔵する出演映画「鳰の浮巣」(1900年、約2分)のフィルムに限られる。
「頬かむりの中に日本一の顔」と絶賛された当たり役、「河庄」の紙屋治兵衛では、1925年の中座公演が撮影され、「舞台のおもかげ」にはない花道の登場シーンも含まれている。治兵衛が羽織をかぶって後ろ向きになる演技もはっきりわかる。
また、28年の中座公演「封印切」では、手元から小判が落ちる見せ場も鮮明に映っている。29年の「本朝廿四孝」では、文楽を模して狐の人形を操作する珍しいシーンも残る。
舞台映像のほか、後援会メンバーとマツタケ狩りをして、鍋をつつくシーンも収録。時代劇映画の大スターで、一時は初代鴈治郎門下の歌舞伎俳優だった長谷川一夫(1908~84年)も登場する。
35年の初代の葬儀も詳細に記録されており、六代目尾上菊五郎、十五代目市村羽左衛門、七代目松本幸四郎ら多くの名優が弔問。大阪市内の自宅周辺は別れを惜しむファンでごった返し、人気ぶりをしのばせる。
分析した早稲田大学演劇博物館の児玉竜一館長は「柔和でリアルな上方和事はもちろん、『勧進帳』の富樫や『盛綱陣屋』の盛綱では初代の風格、スケールの大きさがよくわかる。中座の絵看板ややぐら、道頓堀の夜景など当時の大阪の劇場街の様子も伝えている」と話している。
■初代中村鴈治郎
上方和事と呼ばれる柔和な二枚目の役を得意とし、一世を風靡した。「城とおこしとガンジロはん」と大阪の3大名物にも数えられた。2020年に亡くなった四代目坂田藤十郎(三代目鴈治郎)さんは孫、四代目鴈治郎さんはひ孫にあたる。
(読売新聞編集委員・坂成美保)
(2023年8月1日付 読売新聞夕刊より)