京都国立博物館(京都市東山区)で12月4日まで開かれている特別展「京に生きる文化 茶の湯」には、特別協力として表千家不審菴、裏千家今日庵、武者小路千家官休庵、藪内家燕庵が名を連ねる。江戸時代初期から京都で茶文化を伝えてきた4家の家元に展覧会の見どころや、家の歴史、流儀の特色について聞いた。
特別展に表千家から出品している7点の中で、長谷川等伯が描いた「千利休像」(展示は11月6日まで)が「自分の中では最も重きを置いている。表千家でも特別な時しか蔵から出ることはない」と話す。
「穏やかな表情の中に、りんとした風格が感じられる。その姿がそのまま茶の湯に通じるように感じる」
利休が創造し、茶会で用いた茶道具にも「注目してほしい」という。「黒漆塗手桶水指」には、利休から塗師の記三に宛てた書状が添えられ、塗りの具合や全体の姿など、利休の注文が具体的に書かれている。
利休のひ孫の代に千家は三つに分かれた。その中で茶室、不審菴を受け継いだ表千家は本家として、茶道具のほか、多くの文書史料を伝えている。
三千家が成立した時の家元である表千家四代江岑宗左の文書が表千家の蔵の中で手つかずのまま保管されていた。それを取り上げ、日本史を学んだ同志社大で卒業論文を書いた。
以降も、代々の家元が書き残した文書の調査・研究を続け、茶会様式の変遷や、茶の湯の理念の形成を実証的に跡づけてきた。
先代の父は今、表千家で使われてきた隠居名、宗旦を名乗っている。「宗旦の隠居名を名乗ったのは歴代の中でも4人だけ。(宗旦を名乗る父と私の)2人そろっているのは喜ばしいこと」と語る。
◇せん・そうさ 2018年、家元襲名。斎号は猶有斎。著書に「近世前期における茶の湯の研究 表千家を中心として」など。
家元4家から出品される茶道具は「博物館や美術館の所蔵品と違って、古いものでは500年、実際に使われてきた道具」と指摘する。
「常に外気に触れ、ひとの手が触れてきた。今もしっかり生きている。肌合いの違いは、どちらが良いか悪いかではないが、ご覧になれば分かると思う」
江戸初期、千家三代の宗旦は三男の江岑宗左に家督を譲り、敷地内に新たな茶室、今日庵を建てて四男の仙叟宗室と移り住んだ。ここに裏千家が始まる。
「表千家と裏千家は同じわび茶を守ってきたが、兄の家風と弟の家風とで、それぞれ特徴がある」と言う。
裏千家には進取の気風があるといわれる。正座ではなく椅子に座って行う立礼式の点前を幕末期に考案、明治初期の博覧会で外国人を迎えるために用いた。
戦後、学校教育への茶道導入にいち早く取り組み、海外への普及に積極的だったのも裏千家。どれも始めた頃はいろいろ言われたが、茶道の隆盛に大いに貢献したのは明らかだ。
常に進取果敢というわけではなかった。江戸時代も明治維新後も江戸・東京に移ることはなく、裏千家は表千家、武者小路千家とともに京都に居続けた。「都の文化の中で京都風のわび茶をはぐくんだ」と説明する。
◇せん・そうしつ 2002年、家元襲名。斎号は坐忘斎。著書に「京都の路地まわり道」、写真集「IN and OUT」など。
コロナ禍でこの3年、茶道関係の行事が次々中止になった。「今回の特別展は茶をたしなむ人々が集まる久しぶりの機会」と喜ぶ。「茶をなさらない方も会場に足を運んで茶の湯が日本の伝統文化の中で大きな存在であることを実感してほしい」と呼びかけている。
展覧会関連の企画で武者小路千家の官休庵の見学会を開催。お点前を披露した。「博物館でガラスケースの中の道具を見るだけでは分からない、茶の湯の世界に溶け込んでもらった」
千家三代、宗旦の次男、一翁宗守がいったん養子に出た後、千家に戻って京都・武者小路通に設けた茶室が官休庵。現在の建物は大正期の再建だが、当初の形式を伝えている。
三千家は江戸中期に「一子相伝」を明確化。嗣子以外の男子は千の姓を名乗らず、このため千家は表千家、裏千家、武者小路千家の三家に限定され、それ以上は増えないことになった。
「男子が生まれない時は養子を出し合う。千家を絶やさないために三千家はよくできた制度」と解説する。実際、武者小路千家では長く男子が生まれず、養子で家元をつないできた。
「難しい世界なので、本当にお茶が好きな凝り性でないと養子に来ない。代々がそうで、組織の維持や営業面には関心が向かない。そこがこの家の変わったところ」と苦笑いする。
◇せん・そうしゅ 1989年、家元襲名。斎号は不徹斎。著書に「雪間の草」など。東京芸術大、大阪音楽大などで客員教授。
京都国立博物館で2002年に開催された特別展「日本人と茶 その歴史・その美意識」の際も4宗家は後援に名を連ねた。「20年前の観覧者に再訪していただくとうれしいが、今回は若い方にぜひ足を運んでほしい」と期待する。
「正座どころか床に座ること自体が苦手な若い世代に、お茶をどう楽しんでもらうか、日々考えている」
コロナ禍の昨年1月、NHK文化センターと組んで「オンライン初釜」を試みた。ライブ配信される紹智家元の点前を見て、400人の客が各自、茶を点てた。菓子は宅配便で届けた。
「畳に座り、対面で行うのが茶の湯の本質だが、新しい方法もあっていい」と考えている。
流祖、藪内剣仲紹智は千利休の兄弟弟子。その時代、書院造りの広間に豪華な道具を飾って客をもてなす書院の茶と、4畳半より狭い小間で行う簡素、簡略なわび茶の両方があった。
千家は三代の宗旦以降、わび茶を重んじるが「藪内流は書院の茶とわび茶の両方を伝える」。流祖と縁戚関係にあった武将、古田織部から茶室・燕庵や表門を譲られ、その武家茶も取り入れた。
三千家とは地理的にも少し離れた藪内家だが、「南北にほぼ一直線、京都盆地を北から南へ流れる同じ伏流水を使ってきた」と教えてくれた。
◇やぶのうち・じょうち 2015年、家元襲名。斎号は允猶斎。共著書に「涼を楽しむ 入門編」など。18年から龍谷大客員教授。
茶道4流派の系譜
茶道の流派で代表的なのが、利休に始まる京都の三千家だ。利休のひ孫の代に表千家、裏千家、武者小路千家に分かれた。藪内家は利休の兄弟弟子が流祖。ほかに、大名茶人・小堀遠州が始めた遠州流などがあり、現在流派は数百あるともいわれる。
(2022年11月8日付 読売新聞朝刊)
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