自然に恵まれた日本では、四季折々の植物や生物、自然の風景が、古くから美術や文学などの芸術の主要なテーマになってきた。伝統芸能の世界でも、物語の舞台や大道具、小道具の数々から、自然を感じる工夫がなされている。中でも演者がまとう衣裳には、登場人物の性格や身分、物語の場所に由来した動植物が描かれていることが多い。客席からではなかなか細かな点までわからない衣裳の模様について、開催中止となった東京国立博物館の特別展「体感!日本の伝統芸能」の展示品を通して紹介したい。
「日本の伝統芸能は自然をとても大切にしています。たとえば能などは、秋には秋を舞台にした演目と、季節に合わせます。歌舞伎・文楽も、春夏秋冬の季節の移ろいの中で物語が描かれることが多いですね」と語るのは、日本芸術文化振興会の櫻井弘理事。そんな舞台で使われる衣裳の意匠も、自然をモチーフにしたものが多い。
春夏秋冬の花々をちりばめたのは、能装束「紅白段四季草花塩釜模様唐織」で、色糸に金銀を交ぜて織り込んだ豪華な唐織で、リンドウや菊、タチアオイなどを描く。
この装束は赤色が使われた「紅入」と呼ばれる種類で、若い女性の役が着るものという。植物の間には、製塩を行う「塩屋」が見える。屋根の上の青い模様は、雪を表す「雪輪」という模様だ。
鮮やかな朝顔の花が描かれているのは、歌舞伎「助六由縁江戸桜」に登場する奴・朝顔仙平の衣裳。主人公の助六と敵対する意休の子分だ。青やピンクの朝顔の柄が着付けの前後ろ全面に描かれている。
柄の縁は金糸で縫い取ってある。近づいて見ると朝顔がキラキラと輝き、とても豪華だ。
同じく朝顔の着物が登場するのは、歌舞伎「生写朝顔話」。主人公の姫君・深雪が着るこの衣裳は、夏の宇治川での蛍狩りの場面で着用されるもので、裾に綿を用いない「毛抜き」になっている。朝顔仙平のものとは異なり、小ぶりな朝顔が全面に、上品に配置されている。こちらも、柄の縁が金糸で縫い取ってある。
雪(雪輪)とナズナをあしらった何とものどかな紋「雪なずな」が入っているのは、狂言装束だ。
太郎冠者や従者など庶民的な役に用いられる装束には、必ず雪なずなの紋があしらわれるという。「何者にも属さない、名前のない人々という意味合いがあったのでしょうか」と担当者。
肩衣は、袖が取り払われ、簡略化されている。 この装束の背面には、帆船が描かれている。装束の背面には動植物や道具、風景などの身近な題材が描かれるといい、衣の模様を楽しみに見るというファンも多いのだという。
物語にちなんだ動物が、衣裳に登場することも。
歌舞伎「鷺娘」は、鷺の精が娘に姿を変えて現れるという舞踊。赤地にしだれ梅と、そこに鷺が舞う衣裳は、とても華やかだ。
雄々しい鷹が刺繍されているのは、歌舞伎「菅原伝授手習鑑」で松王丸がまとう衣裳。松王丸は我が子を身代わりにたてて、恩義のある菅原道真の子を救おうと画策する。この衣裳には、雪が積もった松「雪持松」が描かれており、本心を隠して耐える松王丸の苦悩を表現しているという。
文楽「伽羅先代萩」は、お家乗っ取りをたくらむ悪人たちと、幼君を守る乳母や忠臣たちとの争いを描いており、仙台の伊達家で実際に起こったお家騒動を題材にしている。乳母が着る打掛は、伊達家の家紋「竹に雀」が描かれている。
能「葵上」「道成寺」など、嫉妬や怨念で「鬼女」になった女の役で用いられるのは、「鱗模様」の「摺箔」の装束。白地の絹に金箔や銀箔で細かい模様を摺り表している。「ヘビの鱗のような模様で、嫉妬の思いを表しています。昔から日本人は呪いや怨念をヘビに連想させてイメージさせているようですね」と担当者。
想像上の生き物も。能で武将の役がまとう装束「厚板」には、雲と波、そして龍が描かれている。水にまつわる模様が並ぶ「雲龍文」は縁起の良い模様とされており、武士らしい勇猛さを想起させる。
沖縄の伝統芸能「組踊」では、女性や若い男性の役は沖縄特有の模様染め「紅型」の衣裳を用いる。紅型は、東南アジアなどとの海外貿易によりインドやインドネシア、中国の染色技術を取り入れ、沖縄で発展した技法で、鮮やかな色彩、動植物を取り入れた図柄で知られている。
この衣裳は、水色の地にボタンとショウブ、そして鳳凰が描かれている。南国のおおらかさを体現したかのような、カラフルな色遣いにどことなく楽しい気分になる。
裾には、沖縄の海を思い起こさせる波のような模様が描かれている。
檜扇と団扇とともに、丸い菊とツバキが描かれている紅型衣裳。こちらも白地に映える色遣いが美しい。
「芸能にとって四季は、切っても切れないメインのモチーフになっています。季節感を味わうのも伝統芸能の楽しみ方のひとつなので、ぜひ堪能してください」と櫻井さんも話す。劇場が再開し、足を運ぶ際は、衣裳から味わう自然にも注目してみてはいかがだろう。
(読売新聞紡ぐプロジェクト事務局 沢野未来)
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