国立劇場での歌舞伎公演が、9か月ぶりに再開された。新型コロナウイルス感染対策を踏まえて2部制となった10月歌舞伎公演は、時代物と世話物の傑作に加えて新作歌舞伎も投入する挑戦的な内容だ。この時期にあえて「新作」を送り出す狙いとは――。歌舞伎の制作を担当する日本芸術文化振興会の大和田文雄理事と、出演の松本幸四郎さんに意気込みや期待を聞いた。演目の見どころとともに、舞台裏を紹介する。
10月公演の第一部は、源平合戦を背景に武士の忠節や恋模様を描いた重厚な「時代物」の「ひらかな盛衰記―源太勘当―」。美男子としても知られる武士・源太(中村梅玉さん)に、母・延寿(中村魁春さん)が勘当を言い渡すシーンは、 武家の威厳の中に 母子の情愛が垣間見られ、感動を誘う。それに幸四郎さんによる注目の新作歌舞伎「幸希芝居遊」が続く。
第二部は、人間国宝・尾上菊五郎さんが得意とする「世話物」の代表作で、江戸の町人一家の悲劇をコミカルに描く「新皿屋舗月雨暈-魚屋宗五郎-」。酒を飲み、酔って暴れ出す宗五郎(菊五郎さん)と、彼をなだめようと体を張る女房おはま(中村時蔵さん)ら一家の、一見ドタバタのような息の合ったチームプレーが見どころ。続く尾上松緑さんの「太刀盗人」は、すっぱ(スリ)の男が刀を盗もうとする様をおもしろおかしく描く。
「幸希芝居遊」は、春先からすべての興行が停止となった江戸の町を舞台に、江戸座の座頭(一座の主席役者)・久松小四郎(幸四郎さん)が、閉鎖された芝居小屋に忍び込み、役者仲間と一緒に様々な演目の一場面を演じ踊るが、実は……というストーリー。作者は鈴木英一さんで、「常磐津和英太夫」として出演もしている。
わずか45分の舞踊劇だが、仮名手本忠臣蔵や義経千本桜、勧進帳、三人吉三などの歌舞伎の名作から20の役を、幸四郎さんが次々に演じるのが見どころだ。名場面をオムニバスで演じる「吹寄」という伝統ある手法で、幸四郎さんは「公演が再開されたとはいえ、色々な制限があります。そういった中で、一幕で色々なお芝居を見ていただき、役者としても色々な役を演じてみたいと思いました」と語る。幸四郎さん自身が演じてみたい役をすべて書き出し、そこから絞り込んだという思い入れも明かした。
劇中、役者たちは「芝居がしたい、芝居がしたい」と繰り返し訴える。物語の中で芝居が中止になったのは、今回のような疫病ではなく別の理由からだが、役者のセリフには公演中止が続いた今日の状況を思い起こさせるリアリティーがあり、見ているうちにあたかも自分が芝居の世界に生きているかのような感覚に陥ってしまう。
「ネタバレ」は避けるが、ラストは小四郎の「ご見物(観客)に夢を見てもらうんだ」のセリフとともに、暗闇から夢のように美しい舞台が一瞬で目の前に広がる。その華やかさは、生の舞台ならではであり歌舞伎の真骨頂。劇場で芝居を見ることのできる幸せを改めてかみしめ、胸が熱くなる観客も多いのではないだろうか。
大和田さんによると、今回の公演では出演者と対面での打ち合わせができず、電話のやりとりが続く状況で制作を進めたのだという。それにもかかわらず新作歌舞伎に挑戦したのは、幸四郎さんからの提案だった。「7月頃でしょうか。踊りの演目のご相談をしたところ、『今だからこそできるものをやれないか』というお話が幸四郎さんからありました」。
今回取り入れた「吹寄」は、制作や演出の上でも効果的だった。「感染防止で密を避けるため、舞台上の人数を制限する必要があり、派手な早替わりはできません。また一から脚本を作り、曲や振りをつける必要のない吹寄であれば、短いスパンでも新作が作れるのではないかと考えました」と大和田さんは振り返る。
さらに、いくつもの名場面をダイジェストに見せる手法は、広く多くの人に歌舞伎を楽しんでもらえることにつながるのでは、という期待もある。
幸四郎さんは「歌舞伎をご存じの方は、『あの役のこの形、あのセリフだ』と楽しんでいただけますし、芝居を知らない方でも色々な踊り方――たとえば、面白い踊り、きれいな踊り、かっこいい踊り、強い踊りなどを、そして色々な役に変化していく様をお楽しみいただけるのでは」と狙いを語る。大和田さんは、あえて演じる芝居のタイトルや役名を劇中で軽く触れる程度にとどめ、「役者の動きやセリフに集中してもらい、知識を抜きにして楽しんでもらいたかった」と付け加えた。
国立劇場は今年3月、尾上菊之助さん主演の歌舞伎公演の全日程を中止した。 5月に緊急事態宣言が解除されてからも展望が開けず、有料配信などにも取り組んだ。 ようやく8月になって若手俳優の発表の舞台である「稚魚の会・歌舞伎会合同公演」を、9月に文楽公演を小劇場で行い、今月、いよいよ大劇場の幕を開けることとなった。
一足早く8月から歌舞伎公演を再開した歌舞伎座は、4部制とし、1公演を1時間程度におさえた。休憩時間はなく、入れ替え制になっている。一方の国立劇場は2部制とし、客席の定員を50%未満にして、2時間から休憩を挟む場合は2時間半の公演を行うこととした。出演者や一部をのぞくスタッフは入れ替え、楽屋も客席も各部が終わるごとに消毒する。舞台上の人数も減らしている。
時間的にこれまでのような復活狂言の上演は難しいため、「出演者の方々のお得意の芸を見ていただく、しかもここ最近は演じられていないもので、歌舞伎のバラエティーの豊かさを感じられる演目にしようと思いました」と大和田さんは話す。
11月は、第一部は中村吉右衛門さん主演の「平家女護島-俊寛-」を、第二部は片岡仁左衛門さん主演の「彦山権現誓助剣-毛谷村-」と、舞踊「文売り」「三社祭」を上演することが決まっている。
現時点では、恒例の1月の初春公演も行う予定だというが、果たして、今後の歌舞伎公演はどのような形態になっていくのだろうか。長年、歌舞伎の舞台を作り続けた大和田さんも時折考え込み、「正解がわかるわけではありませんが……」と繰り返す。
「歌舞伎の歴史を振り返ると、江戸時代は明け六つ(夜明け)から暮れ六つ(日暮れ)まで上演していたのが、明治以降に1部制となり、それが2部制、3部制……と変わってきました。 『見取り』という一部だけを楽しむ上演形態も生まれ、狂言(芝居)自体も徐々に短くなりました。今回のコロナの経験は、ここ数十年は暗黙の了解だったことを、もう一回見直す契機になる気がします」
これまでも、阪神大震災や東日本大震災、台風など、興行の世界は様々な困難と闘ってきた。「3.11の時は大変だと思いましたが、今から考えれば、元へ戻すことで前へ進むことができました。ところが今回の場合は、元に戻せばいいというわけではない」。たとえ今回の新型コロナ禍を乗り越えられたとしても、新たな感染症が生まれる可能性は否定できず、対策の検討は必要だ。
「映像ももちろん一つの選択肢です。ただ、見る以外の肌で、体全体で感じる、そういう劇場ならではの楽しみ方も続いていくと思うんです。そこに私は疑いを持っていません。が、はじめから正解だと思ってやれることは本当にない。色々と悩みながら、私たちはチャレンジするしかないのだと思います」
(読売新聞紡ぐプロジェクト事務局 沢野未来、写真も)
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