今年は沖縄の「
組踊はセリフ、音楽(歌)、踊りの3要素からなる歌舞劇。琉球王朝時代の1719年、中国の使節を歓待するために初めて上演され、現在は約70作品が残っている。
10月4、5日には、国立劇場おきなわに隣接する「組踊公園」で、琉球王国時代の上演形態を再現した研究公演を嘉数さんらの演出で実施した。史料を参考に、首里城に設営されていた野外舞台を復元。組踊を創始した
「小鼓の譜面は残されていないが、物語は能の『道成寺』であり『羽衣』なので、鼓の演奏に適しており、効果的だと思われる場面に鼓を入れます」と嘉数さん。組踊の太鼓奏者が能楽小鼓方の人間国宝、大倉源次郎さんの指導を受け、鼓を特訓したという。
幼い頃から琉球舞踊に親しんできた嘉数さんは、40歳。沖縄県立芸大、同大学院時代に組踊への関心を深め、同劇場で組踊などの公演プロデュース・演出に携わるようになり、2013年、33歳の若さで同劇場の芸術監督に就いた。
嘉数さんが最も力を入れるのは普及と人材育成で、今回の研究公演でも、出演者の約半数は同劇場の研修出身者だ。「舞台を専業にしている人は、ほとんどいないのが現状。だが、他県と比べると沖縄は子供の頃から三線の音に触れる機会が多く、芸能と近しい。組踊は難しいと言う人は多いが、(県民に)素地はあるので、すそ野を広げたい」
今年は、組踊300年の記念公演が沖縄県外でも相次ぐ。10月から11月にかけて「琉球芸能の美と心」と題し、琉球舞踊と組踊(「執心鐘入」)を上演する国内7か所のツアーがあり、東京公演は11月7日、池袋の新劇場「東京建物ブリリアホール」で行われた。東京公演に限り、照喜名朝一(琉球古典音楽)、宮城能鳳(組踊立方)の人間国宝2人が特別出演し、至芸を披露した。
また、同28、29日には東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂でも企画公演「能と組踊」があり、28日に「銘苅子」、29日は「
嘉数さんは「300年の節目に色々なことに挑戦できてうれしい。古典の質を上げつつ新作も作らなくては。多くの方に魅力を伝えられるよう、できることを一歩一歩進めたい」と話した。
(読売新聞文化部・森重達裕)
10月31日、首里城(那覇市)の正殿などが全焼した。首里城は組踊誕生の地。嘉数さんは「(火災に遭うなど)予想だにしないことだったので、いまだにどう言葉にしていいのか、うまく伝えることができない。言い表せないほどの驚きや悲しみです」と吐露する。
焼失後に行われた県外公演では、多くの寄付や応援のメッセージが寄せられた。「沖縄の先人たちや多くの皆さんは、いくつもの困難を乗り越えて、今日まできている。私たちも先達に習って、今、ひと踏ん張りしなければならない。そう気持ちを新たにしているところです」
そんななか、組踊の将来にも思いをはせた。「後継者が少ない苦しい時代を経て、継承を続けてきた。素晴らしい劇場が沖縄に建てられ、後継者育成事業に力も入れられ、恵まれた環境で300年の節目を迎えたと感じている」という。
「今後は拠点を沖縄に置きながらも、県外、さらには海外の人たちにも魅力を伝えていけるよう、劇場から飛び出し、できるだけ良い形で届けていきたい。300年とはいえ、まだ300年。今後の400年、500年に向けて、質を高めていくうえで観客の皆さんの目や声が大事。沖縄県民の目や声だけでなく、多くの方に見てもらいたい」と話している。
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