東京・国立劇場で12月に上演される“チャップリン歌舞伎”「蝙蝠の安さん」。チャップリンの映画「街の灯」を基に、劇作家の木村錦花(1877~1960年)が脚色した作品だ。「街の灯」が日本公開前だった1931年の初演時とは違い、今回は、チャップリン家の公認も取り付けた。日本チャップリン協会会長の大野裕之さんは「チャップリン家が舞台化を許可することはほとんどない。チャップリン本人が歌舞伎を好きだったからこそ、ご遺族が例外的に許可したのでしょう」と話す。本家からも期待される「安さん」の見どころや制作の舞台裏を、制作する国立劇場(日本芸術文化振興会)理事で、今回の舞台の演出を担当する大和田文雄さんが解説してくれた。
安さんは、歌舞伎の名作「与話情浮名横櫛」の登場人物、蝙蝠安が原形だ。「街の灯」でチャップリンが演じた主人公、放浪者チャーリーの役柄に当てはめられ、舞台も江戸の街に置き換えられている。
「今よりも多くの人が歌舞伎になじんでいた当時、木村錦花も悩んだ末に、小悪党で人気の安を主役に据えたのでしょう」と大和田さんは推量する。時代が移り、「街の灯」を見たことのある人は増える一方、歌舞伎を知らない人が増えた。
「今回は、蝙蝠安を映画のチャーリーの側へ寄せて、お人よしだが、人間のずるさや弱さも持った『安さん』という新たな人物を作ります。二人のちょうど真ん中くらいの立ち位置で、二人の要素をうまくいかしたいと思っています。昔の人は蝙蝠安から『安さん』を知りましたが、今度は『安さん』から歌舞伎の世界を知る、蝙蝠安といえば『安さん』が最初に来る、そう思ってもらえる作品にしたいですね」
演出などはあくまでも“歌舞伎”。ストーリーを進めるにあたり、竹本(義太夫節)に合わせて役者が身ぶり手ぶりで状況を説明する「仕方話」の手法を用いたり、「街の灯」で使われている曲を歌舞伎の下座音楽の三味線で演奏したりと工夫を凝らす。
安さんの衣装は、歌舞伎で貧乏な町人が着るつぎはぎの着物だが、「実は、映画のセリフを日本語と英語で書いた文字が一部入っています」と大和田さんは明かす。盲目の花売り娘・お花の目が開いた後に、ガラリと印象を変えるという大道具にも注目だ。
安さんを演じる松本幸四郎さんは、通常は1時間程度で終わる宣材写真の撮影でも、小道具や衣装、ポーズにこだわり2時間半をかけたという。「幸四郎さんの思い入れに我々も感じ入っています。幸四郎さんは多くのアイデアを出す一方、客観的に舞台を評価する冷静な目も持っておられ、色々な意見を交えながら、皆で一緒に作り上げています」と大和田さんは話す。
お花役は若手女形の坂東新悟さん。「映画のラストシーンでは、花売り娘の感情はあまり語られないが、舞台上では体を使って表現せねばならず、非常に難しい役になると思います。新悟さんは自分で考えて役を作っていく力があり、楽しみです。背が高いので、安さんとのバランスも面白くなるのでは」と期待する。
今年はくしくもチャップリン生誕130年。このタイミングで、なぜ上演にいたったのか――。11月に行われた制作会見で、幸四郎さんは、30年近く前に偶然「安さん」の存在を知り、「いつか上演したい」と構想を膨らませていたと明かした。
大和田さんは「幸四郎さんと国立劇場は、長く上演されていない作品の復活や新作の制作など、実験的な取り組みを一緒に行ってきており、『安さん』の話も随分前から聞いていました。今回はまさに機が熟したといえます。実は生誕130年にあたることは後から知りましたが、実現への強力な後押しになりました」と感慨深げだ。
今年1月頃からチャップリン家への許諾申請の準備を始め、制作に着手した。前回の脚本は松竹大谷図書館(東京都中央区)に残されていたが、「11場面あり、そのまま上演すると2時間半くらいになる。通し狂言には短く、2本立てにすると長いのでアレンジが必要でした」。
映画が基なだけに通常の歌舞伎より場面展開が早く、映画に無いシーンも盛り込まれていた。「当時と違って映画を見ている方も多いので、現在の観客が散漫に感じそうな部分は削り、芝居のメリハリが出るよう工夫しました」。中には、制作陣で削ろうとしたが幸四郎さんの希望で盛り込んだシーンもあるという。「これは舞台オリジナルですが、安さんの献身的な思いが伝わるよう設定を一部変えて取り入れました」
映画を知らなくても楽しめるよう、工夫を凝らした。大和田さんは「優しさにあふれ、最後はホロリと苦さも残る物語になっています。ぜひ多くの方にご覧いただき、歌舞伎の世界を知るきっかけにしてもらえれば」と話していた。
(読売新聞紡ぐプロジェクト事務局 沢野未来)
【深掘り 蝙蝠の安さん<上>】映画は上映前?!新聞小説が歌舞伎になった「安さん」とチャップリン熱狂時代
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