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2020.6.11

【国際交流員ご当地リポート】日野の誉れ、土方歳三の愛刀・和泉守兼定

東京都日野市国際交流員 リンネ・ウィリングさん

和泉守兼定を腰に差す土方歳三の像
(日野・高幡不動尊金剛寺、リンネ・ウィリングさん提供)

日本刀は、その形状にも機能性にも細心の注意が払われているところに魅力があります。日本の歴史を刻んできた道具であり、ユニークなデザインが施された美術品でもありました。小火器が軍の標準装備品となった19世紀にも、和泉守兼定いずみのかみかねさだを振りかざしていた新選組副長の土方歳三ら多くのサムライたちが、誇りを持って刀を差していました。

刀工の名を取った和泉守兼定は、打刀うちがたなと呼ばれる刀剣の一種で、徒軍かちいくさ(徒歩での接近戦)のために作られた中形のものです。和泉守兼定は刀身70.3センチと、江戸時代後期の打刀としては平均的なサイズです。実戦で使われたことをうかがわせるさまざまな傷が残ります。

和泉守兼定(土方歳三資料館蔵)

刀の表面の地鉄じがねは、折り返し鍛錬によって生まれた文様が浮かび上がります。和泉守兼定は、板目肌が細かい小板目こいためと、目がまっすぐに通る柾目まさめの両方の文様が見られます。地鉄の文様のほかに、刃先とむね(峰)の間に刃文が見られるのが一般的です。刃文は日本刀に美的な特徴を与えているもので、さまざまな形状があります。和泉守兼定には「三本杉」と呼ばれる刃文があって、刃先と棟の間にぎざぎざの線が走っています。

つかには、日本刀でよく見られるように、黒い組み糸が菱形を描くように巻かれています。さやは、赤褐色の漆地に黒と銀の鳳凰ほうおう牡丹ぼたんの文様が配され、刀身同様、芸術的な意匠が凝らされています。刀身の表には「和泉守兼定」の銘が、裏には鍛造の日付が刻まれています。

刀身に「和泉守兼定」の銘が彫られている(土方歳三資料館蔵)

和泉守兼定は、会津藩の刀工によって、1867年に京都で鍛造されました。当時、京都の治安維持を担当していた京都守護職の会津藩主・松平容保まつだいらかたもりから、新選組の副長だった土方歳三に下賜されました。土方は巡視の際にこの剣を愛用し、戊辰戦争(1868~69年)でも携えていました。

この刀は、土方が1869年5月11日に戦死した後、日野(現・東京都日野市)の遺族に届けられたとされます。今は、土方歳三の旧生家で子孫が運営する「土方歳三資料館」に収蔵されています。通常はこしらえのみが展示され、刀身は傷まないように保管されています。ただ、土方の命日といった節目に展示されることもあります。

日野市は土方の没後100年を待たず、1965年6月9日に、 和泉守兼定を市の文化財に指定しました。見れば一目でそれと分かるこの刀は、土方の故郷のシンボルとして今も親しまれており、市内各所でさまざまな意匠として用いられています。一例を挙げると毎年開催されている「ひの新選組まつり」では、 2019年の土方没後150周年を記念して、和泉守兼定のレプリカが制作されました。隊士パレードでは、土方役の参列者がそれを差し、最後は土方の生家(資料館)に届けたのでした。

「ひの新選組まつり」 の隊士パレードで、和泉守兼定のレプリカを差す土方歳三役の参列者(リンネ・ウィリングさん提供)

和泉守兼定はまた、アニメやビデオゲームといった現代メディアでも取り上げられ、若者たちが「ラスト・サムライ」の一人である土方が携えた刀の由来を学ぶきっかけにもなっています。

和泉守兼定の展示予定などについては、土方歳三資料館の公式ウェブサイト(日本語)でご確認ください。

(Cooperation: CLAIR)

Profile

リンネ・ウィリング

南カリフォルニア出身。現在は東京都内に住み、日野市の国際交流員(CIR)を務める。2017年から、郷土史や地元の行事を紹介する記事などを執筆。日本語は翻訳力が上達するよう10年以上学んでおり、趣味で日本文学を訳してみることも。

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