
寺院の扉の奥に安置され、普段は拝観できない仏像があります。それが「秘仏」です。一口に秘仏と言っても、時期を定めて開帳(公開)する仏像、不定期に開帳するもの、見た人がいない絶対秘仏など様々です。長い年月を経て残されてきた秘仏には、文化財を未来へ伝えるヒントが隠されているように思えます。その魅力と秘密に迫ります。
奈良県吉野町の
蔵王権現は、飛鳥時代に日本の山岳宗教である修験道を開いたという
3体は、普段は入れない内陣の厨子内の3間に1体ずつ安置され、像の高さは中央(中尊)が7メートル、左右はともに5メートルを超える。中尊内に「天正十八年十一月十九日、南都大仏師宗貞、宗印」の墨書銘があることから、安土桃山時代の1592年(天正20年)頃に完成したとされる蔵王堂と並行して造立されたとみられる。その大きさのため、厨子の外に運び出されたことは一度もない。
寺によると、1868年(明治元年)の神仏分離令により、修験道信仰は打撃を受けた。寺は神社化され、「神」となった蔵王権現は姿を見せるべきではないとの理由から、幕が開かれることはなくなった。神社から再び寺に戻った後も、長期にわたり、修験道信者の儀式などに限って開帳する秘仏であり続けた。その後は、役行者1300年遠忌法要(2000年)など記念の年に一般参拝者を含めた特別開帳を実施している。
五條良知管長(62)は「より多くの方々に仁王門の修理にご縁をもっていただき、ご本尊にも頑張っていただこうと開帳を決めた」と説明する。参拝者は内陣に入り、拝観のために特別に設けられた1人用の個室で蔵王権現を目の当たりにできる。圧倒的な迫力に息をのみ、涙する人も珍しくないという。五條管長は「蔵王権現さんは衆生(命あるもの)を救うため、仏がわざわざ姿を変えて現れてくれた。厨子の中に隠したままにしておくのは権現さんの本意ではない」と語り、「開帳して姿を現すときのワクワク感や喜び、幕を閉じるときの寂しさを一緒に感じてもらえたらうれしい」と話していた。
今年秋は10月24日~11月30日に特別開帳される。

「秘仏」とは何か、実は厳密な定義はない。例えば毎月の縁日、毎年の開帳、12年、33年、60年といった周期で開扉される秘仏がある一方、誰も拝観したことのない長野・善光寺や東京・浅草寺の本尊のように、厳重に秘される絶対の秘仏もある。
仏像の歴史をたどると、個人的な礼拝の対象として造り、ほかの人が拝むことを想定しない仏像がある。特定の法会の時に限り、開帳される秘仏もある。京都・東寺の二間観音は後七日御修法と呼ばれる儀式の観音供の本尊で、年に1度その役割を果たすが、御修法自体が秘儀なので、一般には公開されない。仏像が秘仏化される経緯の一端に密教修法の影響もうかがえる。
しかし、密教寺院だから本尊を秘仏にするということではない。奈良・長谷寺の本尊、十一面観音像は16世紀まで内陣に
昔も今も、秘されれば見たくなるのが人情。参拝者を多く集めるために秘仏化するお寺の判断もあったと想像される。開帳日はたくさんの人が集まり、病が治った、金持ちになったなどの霊験
いつ、どのような理由で秘仏になったかは様々で、多くはよくわかっていない。背景には、信仰を深める思いや地域の慣習などが込められている。

「秘仏」とは、お寺の仏殿の奥の厨子に納められたり、帳をかけられたりして、普段は見られない仏像と思っている人が多いだろう。その通りなのだが、そもそも仏教は信仰の対象として、ブッダの姿をイメージした仏像を造った。
仏像は「
仏像が鑑賞の対象とされるようになったのは明治時代以降のことだ。1871年(明治4年)から「古器旧物」、すなわち文化財の調査が始まり、84年には、それまで誰の目にも触れることのなかった法隆寺夢殿の
秘仏とされる仏像が、展覧会で展示されることもある。美術館や博物館で仏像が展示されるのは、そこに歴史的意味や美術的価値などが新たに見いだされたからだ。
「仏」として仏堂に安置される仏像は、造像時に仏教儀礼として仏の「魂」を入れる「開眼供養」を行うとされている。したがって、仏像を美術館や博物館で展示するときには、仏の「魂」を抜く儀式「
「秘仏」の語感が持つ神秘性を理解するには、お寺やお堂の立地条件、すなわち周辺の自然環境や参道、境内、仏殿内の宗教空間がとても重要だ。ぜひお寺も訪ねてみてほしい。
(2026年6月7日付 読売新聞朝刊より)
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