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2025.12.22

【能登文化 担い手たちの2年①】- 輪島塗の灯を絶やさぬ

能登半島地震で大きな打撃を受けた伝統漆器「輪島塗」の工房には、作業場が損壊するなど厳しい状況の中、日夜制作に励む職人の姿がある。再興を目指し、若手人材の養成施設を整備するため官民産地の代表が策定した「基本構想」では、2028年度以降に開設する施設が、後継者確保、魅力発信、市場開拓を担う方針が決まった。様々な分野の専門家が連携した文化復興に向けた動きは輪島塗以外の分野にもあり、伝統を絶やさないよう奮闘する地元の大きな支えとなっている。

故郷への思い 波の文様に込め

「塗り」の人間国宝 小森邦博さん

自宅の工房で作品を確認する人間国宝の漆芸家・小森邦博さん(輪島市で)

髹漆きゅうしつ(塗り)の重要無形文化財保持者(人間国宝)・小森邦博さん(80)は、今年の日本伝統工芸展に、籃胎盤らんたいばん磯波いそなみ」を出展した。竹ひごを繊細に編み込んだ下地の上に透明度の高い漆を塗り重ね、寄せては返す波の文様を際立たせた。

作品の背景にあるのは、昨年元日の地震で隆起した能登半島の海岸の景色だ。「能登の波は荒々しいだけではなく、様々な表情がある。見慣れた波も陸が広がったことで、かなり遠くに感じるようになったと思いました」。そんな故郷の海の変化に思いを巡らせた作品だという。

小森さんが今年の日本伝統工芸展に出展した籃胎盤「磯波」

昨年の同展では、網代蓋物あじろふたものしんかく」を出展。この作品を手がけていた時にも、地震発生直後に避難した輪島市役所から目にした、通い慣れた朝市通りが火に包まれる姿が脳裏に浮かんだ。2年続いて、地震をモチーフとした作品を制作したことになる。

「影響はないと思って頑張ったけど、地震というのはかなり精神的なイメージとして、やっぱり心の中にあるんですよね。来年は違う作品になると思いたい」

木地師きじし塗師ぬし、蒔絵師らによる「分業制」が特徴の輪島塗だが、小森さんは木や竹などの素材で、木地作りから最後の上塗りまでの全ての工程を一人でこなしている。「竹屋さんにお願いすると、竹ひごは少し厚くなるんです。厚い竹ひごでは編み目のところに深い溝ができて漆がたまる。作品にあった材料は自分で用意する必要があるのです」

小森さんが所長を務める石川県立輪島漆芸技術研修所は〔2025年〕11月21日に卒業式が行われ、16人の卒業生に向けて「熟練の『漆人うるしびと』となられんことを念じます」と式辞を述べた。震災による断水や建物被害で休講を余儀なくされた。漆は繊細で、季節によって扱い方が異なる。昨年10月に研修が再開したものの、変則的なスケジュールは研修生や講師の負担となった。被災した研修生の住まいの確保など課題も多かった。

「心に傷を負った研修生も多かったと思う。劣悪な環境の中でも、真摯しんしに漆に向き合い続けた卒業生たちの今後を応援したい」

今年は輪島塗の人材養成施設を整備する官民産地連携の「基本構想策定委員会」の委員も務めてきた。市場開拓の一環で輪島塗の海外展開への期待も高まるが、「(海外の)文化に迎合してデザインを考えるのではなく、自分の作りたいものが向こうの感性とあえば、自然と認められる」。

輪島塗の根本には職人の卓越した「技術」がある。自身の研鑽けんさんとともに、後進の指導に今後も力を注いでいく。

震災、内定取り消し…「待ちます」

新人蒔絵師 永嶋珠子さん

漆で描いた模様に金粉をまく輪島屋善仁の新人蒔絵師・永嶋珠子さん(輪島市で)=桐山弘太撮影

震災後に輪島塗の世界に入り、伝統を継承しようという若者もいる。1813年創業の漆器製造販売「輪島屋善仁ぜんに」(石川県輪島市)では、昨年〔2024〕11月に入社した蒔絵師まきえし、永嶋珠子さん(25)が日々研鑽けんさんを積んでいる。

本来は4月入社予定だった。しかし、同社は震災で店舗や工房、倉庫、商品に甚大な被害が出た。2月に内定取り消しの連絡をした中室耕二郎社長(52)は「荒れ果てた輪島、半壊した工房に、未来ある若者を預かることは無責任と思い、苦渋の決断でした」と振り返る。

永嶋さんは京都伝統工芸大学校で漆芸を学んだ。内定を得た2か月後に地震が発生。優しくしてくれた人々や朝市通りの光景が目に浮かび、大きなショックを受けた。自身の就職より輪島の被害が心配だった。いったんは他の就職先も探したが、「受け入れていただけるようになるまで待ちます」と返事をした。「本物の漆を使い、町全体に漆器店がある輪島は、私が求める最高の環境でした」

同社はその後、店の展示スペースを、ベテランと若手が並んで技をつなげる作業場に改装。永嶋さんの住む家も時間がかかったが見つけることができた。

永嶋さんについて、中室社長は「とても芯の強い若者。蒔絵師として大きな成長が期待できる」と目を細める。永嶋さんは「一工程、一工程を丁寧にする輪島塗に改めて魅了された。みなさん大変な状況なのに、外から来た私に親切にしてくれる。技も人間性も学ばないといけない」と決意を新たにしている。

蒔絵師まきえしの永嶋珠子さんは漆で丁寧に模様を描く。輪島塗の仕事に就いて1年が過ぎた
永嶋さんの筆

作業場復旧も道具も自分の手で

刳物木地くりものきじ師 保山勝利さん

刳物木地師の保山勝利さん

輪島塗の分業で、最初の工程となるのが木地作りだ。その後、漆が厚く塗られ、華麗な加飾が施されるが、「保山朴木地ぼうやまほおきじ木工所」の保山勝利さん(58)は「自分の木地が、どんな素晴らしいものに変わるのか見るのが楽しい」と話す。

木地には、木材をロクロにかけ、わんや皿を作る「挽物ひきもの」、板を組み合わせる「指物さしもの」、薄い板を輪状に曲げて作る「曲物まげもの」など様々な種類がある。保山さんが携わる「刳物くりもの」は、ノミやカンナを使って「木をり」、スプーンや仏具のほか、複雑な木地加工を専門に手がける仕事だ。

作業場をのぞくと、様々な大きさ、形状のカンナが並んでいた。小さい物で、ホチキスの針の箱ぐらい。曲面も削れる曲がったカンナもあった。「自分で作った道具や、オヤジから受け継いだものもある」

保山さんのカンナ(いずれも輪島市で)

地震の被害を受けた作業場も自ら修理した。「傾いた作業場を木で支えて、割れた壁を板で補強した。幸い、木はいっぱいあったもんで」。昨年2月終わり頃には、仕事を再開した。

震災後、斬新で創造的な注文を優先的に受けようと意識するようになった。「作り方がすぐに思いつかなくても、寝る前にひらめくことがある。ワクワクして朝早く目が覚める」

輪島では従来から木地師の不足が叫ばれている。復興支援で大きく伸びた売り上げも今年は減っている。「面白いものを作れば、買ってくれる人も、こんなのを作りたいと思ってくれる人も増えるはず」。震災を乗り越えた輪島塗の将来を考えている。

磨き上げ作業 仮設工房で集中

呂色師ろいろし 北村竜治さん

仮設工房で、輪島塗の分業の最終工程となる呂色ろいろ仕上げをする北村竜治さん。手で磨き、鏡面のように輝いたお盆を見つめる

輪島市内に85室ある輪島塗の仮設工房の一つで、呂色師ろいろしの北村竜治さん(57)がお盆を黙々と磨いていた。秋晴れの日、窓から差し込む光に、「こういう日は仕事をしていて気持ちがいいね」とほほえんだ。

呂色は、輪島塗の制作工程における仕上げ段階の一つで、漆で塗り上がった作品の表面を美しく輝かせる作業だ。専用の木炭で研ぎ、さらに漆をすり込みながら磨く作業を繰り返して、鏡面のような光沢を出す。

作業は最終的に、素手を使う。呂色一筋の北村さんの手は大きく、それでいて手つきはしなやかで滑らかだ。「摩擦で熱くなるような磨き方ではない。薄く塗った漆を力を入れずに浸透させていくんです」。ツヤが出てピカピカになったお盆に、青空が映った。

北村さんの自宅兼工房は、地震で大規模火災が起きた輪島朝市通りの近くにあり、全焼した。一家で車で避難し、同じ石川県の漆器産地、加賀市の山中温泉地区に身を寄せた。現地でも仕事に恵まれたが、輪島に仮設工房ができたと連絡を受け、昨春戻った。改めて認識するのは、呂色を依頼してくる作家の美意識の高さ。呂色師も輪島でこそ輝くことを実感している。

「去年は分からんままに1年が過ぎ、前を向ける精神状態になかった。工房と仮設住宅は離れていて不便だが、何とか仕事ができている。人に喜んでもらえるいい仕事をして、助けてもらったご恩返しをしたい」

呂色師の北村竜治さんが仕上げた輪島塗の盆(輪島市で)
珪藻土「地の粉」 欠かせぬ原料

輪島市中心部から車で5分ほどの場所にある小峰山。同山を中心とする丘陵地から採掘される珪藻けいそう土は加工することで「」と呼ばれ、輪島塗に欠かせない原料となる。

輪島塗に欠かせない原料の「

珪藻土は植物プランクトンの死骸が堆積たいせきしてできた土で、微細なあなをたくさん持つのが特徴。採掘された珪藻土は機械で長方形に成形され、乾燥・蒸し焼きした後に細かく粉砕して袋詰めする。漆と混ぜ、木地に塗ることで下地に厚みのある丈夫な漆器が出来上がる。

堅牢けんろう優美な輪島塗の最も重要な原料で、輪島塗以外に使用できない門外不出のものです」。輪島漆器商工業協同組合の隅堅正事務局長(67)は強調する。

地の粉の原料となる珪藻土を含む土地周辺に立つ「地の粉発見の碑」(いずれも輪島市で)

地の粉生産の工場は同組合が運営。テーブルなど大型の輪島塗が大いに売れたバブル時代に地の粉も製造のピークを迎えた。しかし、需要の減少とともに、地震前にはバブル期の約10分の1まで製造量が落ち込んでいたという。能登半島地震では屋外の乾燥施設が被災し、ガス炉の煙突も壊れた。輪島塗生産に必要な地の粉は、地震前から数年分の在庫を確保しているものの、機械などを修繕し、以前のように製造ができるには少し時間が必要だという。

輪島塗の復興構想では、地の粉工場を観光客向けの見学施設として整備し、若手が漆芸の技術などを学ぶ人材養成施設と併設することが決まっている。隅さんは「地の粉は輪島塗の歴史とともにある貴重な資源。その重要性をアピールしつつ、復興につなげたい」と話している。

(2025年12月7日付 読売新聞朝刊より)

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