傷みやすい書画を掛け軸や巻物、
屏風 などに仕立てる「表具」は、中国から伝わり、日本で独自に発展した伝統技術です。主役である書画を和紙や裂 (織物)で守り、彩りを添える名脇役で、天然の糊と水によって書画の美しさを再生させることから、「水と刷毛 による芸術」とも呼ばれます。日本人は古来、世代から世代へと絵や書を受け継ぎ、愛 で、尊ぶことで、日常生活を豊かにしてきました。そんな文化を培ったのが、「千年の都」京都と、「徳川将軍のお膝元」江戸です。京の雅 、江戸の粋――。それぞれの風土、美意識が反映された二都の表具の過去、現在、未来を掛け軸を通して見てみましょう。
京都市下京区に威容を誇る西本願寺は、国内最大級の伝統仏教教団、浄土真宗本願寺派の本山だ。その東側、堀川通を挟み正門の向かいにあるのが「宇佐美松鶴堂」。天明年間の創業から240年余。当主は代々宇佐美直八を名乗る。
「色が濃いと暗くなるしな。やっぱりこっちやな」。4階建てビル2階の作業場で、9代目直八さん(67)と長男の直孝さん(34)が、古い掛け軸を前に
「取り合わせにはルールがある」と直八さん。本紙に近い裂ほど上等なものを使うのは、その一つ。「例えば、一文字に濃い色を選ぶと引き締まるが、見方によっては本紙を上下から抑え込むようで窮屈に映る。とても難しい」と説明する。
絵をフレームの中に「閉じ込める」のが額縁なら、「広げる」のが表具だ。「本紙に使われている色やモチーフと、一文字や上下の色、柄をリンクさせることが多いのも、そのため。絵を解き放って大きく見せ、広がりを想像させる。表具も作品の一部と言われるゆえんです」。その上で、「京表具には茶の湯の『わびさび』も感じられる。決して華美ではなく、本紙との調和が持ち味と言えるのではないでしょうか」。
7代目の祖父、8代目の父は、厳島神社の国宝「平家納経」や建仁寺の国宝「風神雷神図
明治期の
欧米や豪州などから弟子入りした研修生たちは、表具の技術を学び巣立つ。その数は約60人に上る。昨年〔2024年〕3月には、8年間修業した仏人男性が母国へ帰り、日本美術の修復を手がける工房を開いたという。「ボストン美術館や大英博物館などの海外の作業場には、今では畳敷きの場所があるんですよ。刷毛の並べ方も同じで、びっくりするぐらい」。国境を超え、日本の伝統技術を伝える仲間がいることに喜びを感じている。
表具とは
書画の周囲 裂で飾る — 6世紀初め、仏教とともに伝来
表具は表装とも言う。書画のたるみやしわを取るため、薄い和紙を裏打ちして真っすぐにした上で、周囲をふさわしい裂で飾る。書画は、表具を施して初めて「作品」として完成する。
6世紀初め、仏教とともに中国から伝来した。経巻を仕立てたのが始まりとされ、表装した仏画が布教に使われた。手がけたのは、装潢師 や経師 などと呼ばれる職人たちだ。鎌倉時代の作とされる絵巻「法然上人絵伝」からは、仏画を表具して壁にかけていた様子などがわかる。
この頃から、仏画とともにさまざまな絵や書が表具されるようになった。室町時代に入り、書院造りが広がると、仏画や花鳥画を裂で飾った掛け軸が、床の間に掛けられるようになる。書画を高価な裂で美しく装うのは、日本ならではのスタイル。明との貿易を進めた足利将軍家の唐物 コレクション「東山御物 」には、金襴 など、華やかな裂で表装した名品が多い。
一方で、禅宗などの影響を受け、千利休が大成させた「わび茶」の世界では、絵画に代わり、高僧による墨蹟 など書の掛け軸が好まれた。江戸時代になると、簡素を重んじる「わびさび」、わびに明るさを加味した「綺麗 さび」など、茶人の美意識を反映した「好み表具」が流行。「利休表具」や「遠州表具」(大名茶人の小堀遠州)がその例だ。
寺社が集中し、西陣の織物など上質な材料が豊富な京都で、公家文化などを背景に発展。江戸幕府が開かれると、大名屋敷の造営などを通じて江戸でも広まった。京表具は1997年、江戸表具は2022年に国の伝統工芸品に指定された。
(2025年10月5日付 読売新聞朝刊より)
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