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2025.10.22

【表具 新たな可能性 1】修復は「ゴールのない駅伝」

傷みやすい書画を掛け軸や巻物、屏風びょうぶなどに仕立てる「表具」は、中国から伝わり、日本で独自に発展した伝統技術です。主役である書画を和紙やきれ(織物)で守り、彩りを添える名脇役で、天然の糊と水によって書画の美しさを再生させることから、「水と刷毛はけによる芸術」とも呼ばれます。日本人は古来、世代から世代へと絵や書を受け継ぎ、で、尊ぶことで、日常生活を豊かにしてきました。そんな文化を培ったのが、「千年の都」京都と、「徳川将軍のお膝元」江戸です。京のみやび、江戸の粋――。それぞれの風土、美意識が反映された二都の表具の過去、現在、未来を掛け軸を通して見てみましょう。

「宇佐美松鶴堂」宇佐美直八さん

古い掛け軸を慎重に巻く宇佐美直八さん。宇佐美家には「正直五両」で始まる家訓が伝わる。「誠実な態度には価値がある。いい仕事を残すことが、信頼につながる」(京都市下京区で)=川崎公太撮影
創業240年余

京都市下京区に威容を誇る西本願寺は、国内最大級の伝統仏教教団、浄土真宗本願寺派の本山だ。その東側、堀川通を挟み正門の向かいにあるのが「宇佐美松鶴堂」。天明年間の創業から240年余。当主は代々宇佐美直八を名乗る。

「色が濃いと暗くなるしな。やっぱりこっちやな」。4階建てビル2階の作業場で、9代目直八さん(67)と長男の直孝さん(34)が、古い掛け軸を前にきれを広げていた。「朱褪地しゅざめじ」の金襴きんらんなど4種類。色柄の調和を図り、表具に使う裂を決める「取り合わせ」の最中だ。

京表具の老舗、宇佐美松鶴堂9代目当主の宇佐美直八さん(左)と長男の直孝さん。表具を施す絵の周囲にさまざまな裂を置き、ふさわしいものを選ぶ(京都市下京区で)=川崎公太撮影

「取り合わせにはルールがある」と直八さん。本紙に近い裂ほど上等なものを使うのは、その一つ。「例えば、一文字に濃い色を選ぶと引き締まるが、見方によっては本紙を上下から抑え込むようで窮屈に映る。とても難しい」と説明する。

描かれた絵 解き放つ

絵をフレームの中に「閉じ込める」のが額縁なら、「広げる」のが表具だ。「本紙に使われている色やモチーフと、一文字や上下の色、柄をリンクさせることが多いのも、そのため。絵を解き放って大きく見せ、広がりを想像させる。表具も作品の一部と言われるゆえんです」。その上で、「京表具には茶の湯の『わびさび』も感じられる。決して華美ではなく、本紙との調和が持ち味と言えるのではないでしょうか」。

宇佐美松鶴堂の棚に集められた表具に使う裂は約900種類に上る
修復はこれまでの表装(右)の印象を踏襲することが多い
外国人受け入れ

7代目の祖父、8代目の父は、厳島神社の国宝「平家納経」や建仁寺の国宝「風神雷神図屏風びょうぶ」など、文化財の修復を数多く手がけた。「直八」を襲名してから10年が過ぎ、「ゴールのない駅伝を走るランナーみたいなもの。タスキを受けたからには、よりよい形で次世代につなげたい」。昭和の高度成長期に、7代目が始めた外国人職人の受け入れを今も続ける。

明治期の廃仏毀釈はいぶつきしゃくによって海外に流出した文化財は、1970年代に修理が必要な時期を迎えた。「在外美術品を美術館から送ってもらって直す『里帰り修理』をしていた時期もあったが、輸送中の事故などリスクが大きかった」

欧米や豪州などから弟子入りした研修生たちは、表具の技術を学び巣立つ。その数は約60人に上る。昨年〔2024年〕3月には、8年間修業した仏人男性が母国へ帰り、日本美術の修復を手がける工房を開いたという。「ボストン美術館や大英博物館などの海外の作業場には、今では畳敷きの場所があるんですよ。刷毛の並べ方も同じで、びっくりするぐらい」。国境を超え、日本の伝統技術を伝える仲間がいることに喜びを感じている。

地下貯蔵庫に並ぶ大ガメ。大寒の時期に小麦でんぷんと井戸水を大鍋で炊いた古糊(ふるのり)が眠る。10年保存し、掛け軸を和紙で裏打ちする際に使う
修復を依頼された掛け軸は、西本願寺16代門主・湛如(たんにょ)上人像。由来がつづられた裏書きは、はがして新しい掛け軸にはめ戻す
刷毛は、用途に合わせて使い分ける

表具とは

書画の周囲 裂で飾る — 6世紀初め、仏教とともに伝来 
表具は表装とも言う。書画のたるみやしわを取るため、薄い和紙を裏打ちして真っすぐにした上で、周囲をふさわしい裂で飾る。書画は、表具を施して初めて「作品」として完成する。
6世紀初め、仏教とともに中国から伝来した。経巻を仕立てたのが始まりとされ、表装した仏画が布教に使われた。手がけたのは、装潢師そうこうし経師きょうじなどと呼ばれる職人たちだ。鎌倉時代の作とされる絵巻「法然上人絵伝」からは、仏画を表具して壁にかけていた様子などがわかる。
この頃から、仏画とともにさまざまな絵や書が表具されるようになった。室町時代に入り、書院造りが広がると、仏画や花鳥画を裂で飾った掛け軸が、床の間に掛けられるようになる。書画を高価な裂で美しく装うのは、日本ならではのスタイル。明との貿易を進めた足利将軍家の唐物からものコレクション「東山御物ごもつ」には、金襴きんらんなど、華やかな裂で表装した名品が多い。
一方で、禅宗などの影響を受け、千利休が大成させた「わび茶」の世界では、絵画に代わり、高僧による墨蹟ぼくせきなど書の掛け軸が好まれた。江戸時代になると、簡素を重んじる「わびさび」、わびに明るさを加味した「綺麗きれいさび」など、茶人の美意識を反映した「好み表具」が流行。「利休表具」や「遠州表具」(大名茶人の小堀遠州)がその例だ。
寺社が集中し、西陣の織物など上質な材料が豊富な京都で、公家文化などを背景に発展。江戸幕府が開かれると、大名屋敷の造営などを通じて江戸でも広まった。京表具は1997年、江戸表具は2022年に国の伝統工芸品に指定された。

(2025年10月5日付 読売新聞朝刊より)

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