日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト

2024.11.8

【文化功労者 喜びの声】吉田和生「蓄えた芸 伝える」 

今年度〔2024年度〕の文化功労者に、文楽界から人形遣いの人間国宝・吉田和生が選ばれた。今年77歳を迎え、円熟の芸を極める和生に、喜びの声を聞いた。(編集委員 坂成美保)

師・吉田文雀から譲り受けた「すずめ」の絵の扇子を広げる

偶然から入門 師匠に感謝

一報を受けた時は、戸惑いのほうが大きかった。吉田文五郎、桐竹紋十郎、初代吉田玉男、吉田簑助。過去に顕彰された人形遣いたちの顔が次々浮かび、「名人たちと僕が同列に名を連ねていいのか」と言葉に窮した。師匠の吉田文雀でさえ縁のなかった、身に余る栄誉だった。

愛媛県西予せいよ市出身。強く志望して、人形遣いになったわけではない。偶然の出会いに恵まれた。高校卒業後、「伝統工芸の職人になろう」と各地の工房を訪ね歩いた。

文楽人形の頭部「かしら」を彫る人形師・大江巳之助みのすけを訪ね、巳之助の紹介で文雀に会う。大阪・道頓堀の朝日座で初めて文楽を見て、感動とまでいかないが、「ちょっと面白いかな」と思った。

終演後、「今夜の宿はあるか。家に来るか」と誘われて文雀宅に宿泊。翌日、朝食を食べながら「ところで、どないする?」の問いに「やります」と答え、入門が決まった。1967年のことだ。約5年間、住み込みの内弟子として学んだ。

「なぜ、人形遣いになったのか今でも不思議です。何となく師匠と波長が合った。好きな本をたくさん読めること、休日に関西の寺社巡りをできることが、ただうれしかった」

「芸は盗め」と、教えない修業が当たり前の時代。文雀の指導は変わっていた。「何でも聞け。わしが20年かけて覚えたことがひと言で伝われば時間短縮になる」と、人形の首を支える胴串どぐしの握り方まで、隠さずに見せた。

「仮名手本忠臣蔵」の塩谷判官を遣う吉田和生(2019年4月)=国立文楽劇場提供

師に導かれ、和生は「先代萩」の政岡、「仮名手本忠臣蔵」の戸無瀬となせ、「冥途めいどの飛脚」の忠兵衛など女形、立役たちやくの両方で広い芸域を獲得していった。今月(2024年11月)、国立文楽劇場で上演中の「忠臣蔵」では、師の当たり役でもあった塩谷えんや判官を遣っている。

「毎回、この役を遣うのは最後かも、と覚悟して挑んでいる。師から受け継いだ技術、蓄えた芸を、若い世代に伝えていきたい」

芸歴57年、無遅刻、無欠勤を守り、舞台に穴を開けたことはない。「女優の浪花千栄子さんに『いい芸持っていても、舞台にいてなかったら発揮できひん』と教えられました」と語る吉田和生

(2024年11月8日付 読売新聞夕刊より)

Share

0%

関連記事