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2024.10.10

【擬洋風建築4】二代清水喜助の3建築 全国に影響

洋風建築は明治時代初期の文明開化と共に急速に地方に伝わった。具体的には小学校や県庁舎などの公共的な建物から始まった。擬洋風建築の建設に力を注いだことでは山梨県令(県知事の前身)・藤村紫朗しろうや山形県令・三島通庸みちつねらが知られている。現代に残った擬洋風建築を将来に伝えるには、建物の適切な維持・管理に加え、だれもが親しめる活用法がカギを握る。

洋風建築に載せた城郭風塔屋、しゃちほこ

擬洋風建築を最初に建設したとされるのが、現在の清水建設(東京都中央区)の基礎を築いた大工棟梁とうりょう・二代清水喜助(1815~81年)=写真=だ。二代喜助は伝統的な建築技術を基礎に、和洋折衷の擬洋風建築を生み出し、日本の近代建築の先駆けとなる三つの建物「築地ホテル館」「第一国立銀行(三井組ハウス)」「為替バンク三井組」を完成させた。

1868年(慶応4年)9月に改元し、明治元年となったこの年、江戸・築地鉄砲洲に完成したのが日本初の本格的洋風ホテル「築地ホテル館」だ。江戸幕府が外国人専用の宿泊施設として計画。米国人建築家リチャード・ブリジェンスが基本設計、二代喜助が実施設計と施工を手がけた。

錦絵に描かれた「築地ホテル館」

外壁は、土蔵や武家屋敷の塀などに用いられる「なまこ壁」のような和風建築である一方、屋根の煙突や風向計、ベランダなど随所に、洋風建築の要素を取り入れた。約100室あった客室内には暖炉や水洗式トイレが整っていた。

東京の新名所に

「第一国立銀行」は1872年、東京・兜町に完成。もとは三井組の銀行として計画されたが、国立銀行条例の施行によって新設された第一国立銀行に譲渡された。木造2層の洋風建築の上に、日本伝統の城郭を思わせる塔屋を載せた。

錦絵に描かれた「三井組ハウス」。後の「第一国立銀行」

「為替バンク三井組」は1874年、東京・駿河町(現在の中央区日本橋室町)に完成。第一国立銀行に建物を譲った三井組が改めて建てた銀行だ。木造3階建て。先に手がけた2棟と比べ洋風色が強まっているが、屋根の頂上には和風を象徴する青銅製のしゃちほこを載せた。

錦絵に描かれた「為替バンク三井組」
※写真はいずれも清水建設提供

これらの建物はたちまち東京の新名所となり、多くの錦絵となって日本中に広まった。二代喜助が手がけた擬洋風建築が、後に国内で建設された擬洋風建築に影響を与えたことだろう。

清水建設アーカイブ担当の野々村和恵さんは「西洋建築教育を受けなかった在来の大工棟梁だった二代喜助が、自身の技術の全てを動員して西洋風の建物を造った。単なる見よう見まねではなく、大きな熱意があったからこそ、優れた独創的な建築が生まれた」と説明する。

(2024年10月6日付 読売新聞朝刊より)

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