「情を伝える芸」といわれる人形浄瑠璃文楽の世界で、浄瑠璃の語り手「太夫」は、舞台全体をコントロールする司令塔の役目を果たす。語りと三味線のイキ、人形遣いの演技が、ぴたりと合った瞬間、観客は物語に引き込まれる。気鋭の太夫、豊竹靖太夫は入門から20年を迎えた。言葉の神髄に触れようと新たな挑戦を続けている。(編集委員 坂成美保)
きっかけは中島みゆきの歌だった。東京で過ごした中学時代、CDを聴いて歌詞のとりこになった。詞がメロディーに乗ると、言葉の持つイメージが一気に膨らむ。「頭の中に情景や人物など色んなイメージが浮かぶ。言葉って不思議な力を持っている」と気づいた。
日本語への興味が高じて、中央大学では国語学を専攻。音韻や文法を学ぶうち、歌舞伎や文楽に足を運ぶようになった。卒業論文のテーマは「古今和歌集の係助詞」。大学院に進むつもりだったが、院試で面接官から「君は大学院で何をしたいの?」と問われ、立ち止まった。
「何をしたいか、真剣に考えたことがない。このままではまずい」。合格した大学院への進学をやめ、惹かれていた文楽の世界に飛び込んだ。国立劇場の伝承者養成制度の研修生として2年間、演者の基本を学び、2004年、後に人間国宝となる豊竹嶋太夫に入門した。
スパルタ式の修業が残る時代に、嶋太夫の指導は合理的だった。弟子たちの個性を見抜き、その実力に応じて助言を変える。「陶芸に例えるなら、湯飲み茶碗の土台は自分でつくりなさい。私はできた土台の形を整えることしかできない」と自主性を重んじた。
古文書を読み慣れていた靖太夫は、浄瑠璃全段を収録した分厚い版本「丸本」の崩し字もすらすら読めた。学究肌らしく、作品に挑む時は数多くの参考図書に当たり、時代背景や政治体制まで調べ尽くす。着実に力を蓄えていった。
師匠は20年8月、88歳で亡くなる。ちょうどコロナ禍で、国立劇場や国立文楽劇場の本公演では、短い演目しか上演できない時期が続いた。「このままでは自分は伸び悩む」と焦りも芽生え始めた。
「勉強できる機会をつくろう」と、語りと三味線だけの「素浄瑠璃」の自主公演を思い立ち、若手の太夫、三味線弾きに声をかけると、5組10人が集まった。「義太夫節を勉強する会」を結成し、行政の補助金申請に奔走。23年2月、京都府立文化芸術会館で「第1回素浄瑠璃の会」を開催した。
「絵本太功記・妙心寺の段」「菅原伝授手習鑑・寺子屋の段」……。プログラムには本公演で若手・中堅に回ってこない大曲が並ぶ。芸歴に差がある太夫、三味線があえて組み、若手のレベルアップを狙った。今年〔2024年〕8月の3回目には8組16人が出演した。
最近、亡き師の言葉を思い出す。「太夫が床本(ゆかほん)(台本)を読むだけなら、お客さんに本を渡せばいい。書かれていないことを伝えるから価値がある」。太夫の声と息で発した言葉が、三味線の旋律に乗り、客席に届く。少年時代、中島みゆきの歌に抱いた感慨と、どこかでつながっている。
「文楽、とりわけ素浄瑠璃の魅力は、観客が同じ舞台を共有しながら、それぞれの頭の中で想像した別々の風景や物語を見ていること。見る人の数だけ想像のバリエーションがあっていい。その自由度、制約のなさが面白い」
とよたけ・やすたゆう 1979年、東京生まれ。2004年に初舞台を踏む。師匠・豊竹嶋太夫の死去に伴い、21年から竹本千歳太夫門下に。同年度大阪文化祭奨励賞受賞。11月30日、神戸市灘区の原田の森ギャラリー401号室で「盛綱陣屋」を語る。チケットは gidabensuru@gmail.com。
◇11月文楽公演 〔2024年〕11月2~24日、国立文楽劇場。第1部は三大名作の一つ「仮名手本忠臣蔵」の大序~四段目。第2部は狂言が原作の「靱猿」と「忠臣蔵」五~七段目。靖太夫は大序、五段目に出演予定。☎0570・07・9900。
(2024年10月9日付 読売新聞夕刊より)
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