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2024.10.9

素浄瑠璃 語りを磨く ― 豊竹靖太夫

「情を伝える芸」といわれる人形浄瑠璃文楽の世界で、浄瑠璃の語り手「太夫」は、舞台全体をコントロールする司令塔の役目を果たす。語りと三味線のイキ、人形遣いの演技が、ぴたりと合った瞬間、観客は物語に引き込まれる。気鋭の太夫、豊竹靖太夫は入門から20年を迎えた。言葉の神髄に触れようと新たな挑戦を続けている。(編集委員 坂成美保)

自身が学んだ伝承者養成制度は昨年度、研修生が集まらない事態もあった。「文楽の魅力を知ってもらうため、将来は子ども向けの公演も企画したい」=泉祥平撮影
 

自主公演で大曲 言葉の力実感 

 

きっかけは中島みゆきの歌だった。東京で過ごした中学時代、CDを聴いて歌詞のとりこになった。詞がメロディーに乗ると、言葉の持つイメージが一気に膨らむ。「頭の中に情景や人物など色んなイメージが浮かぶ。言葉って不思議な力を持っている」と気づいた。

日本語への興味が高じて、中央大学では国語学を専攻。音韻や文法を学ぶうち、歌舞伎や文楽に足を運ぶようになった。卒業論文のテーマは「古今和歌集の係助詞」。大学院に進むつもりだったが、院試で面接官から「君は大学院で何をしたいの?」と問われ、立ち止まった。

「何をしたいか、真剣に考えたことがない。このままではまずい」。合格した大学院への進学をやめ、かれていた文楽の世界に飛び込んだ。国立劇場の伝承者養成制度の研修生として2年間、演者の基本を学び、2004年、後に人間国宝となる豊竹嶋太夫しまたゆうに入門した。

研修生時代の勉強風景(右は同期の豊竹希太夫)=文楽協会創立40周年記念誌より
国立文楽劇場ののぼりの前で師匠・嶋太夫(右)と一緒に。2人で記念撮影する機会は少なく貴重な1枚(2005年)=本人提供
師匠の教え

スパルタ式の修業が残る時代に、嶋太夫の指導は合理的だった。弟子たちの個性を見抜き、その実力に応じて助言を変える。「陶芸に例えるなら、湯飲み茶碗ちゃわんの土台は自分でつくりなさい。私はできた土台の形を整えることしかできない」と自主性を重んじた。

古文書を読み慣れていた靖太夫は、浄瑠璃全段を収録した分厚い版本「丸本」の崩し字もすらすら読めた。学究肌らしく、作品に挑む時は数多くの参考図書に当たり、時代背景や政治体制まで調べ尽くす。着実に力を蓄えていった。

師匠は20年8月、88歳で亡くなる。ちょうどコロナ禍で、国立劇場や国立文楽劇場の本公演では、短い演目しか上演できない時期が続いた。「このままでは自分は伸び悩む」と焦りも芽生え始めた。

「勉強できる機会をつくろう」と、語りと三味線だけの「浄瑠璃」の自主公演を思い立ち、若手の太夫、三味線弾きに声をかけると、5組10人が集まった。「義太夫節を勉強する会」を結成し、行政の補助金申請に奔走。23年2月、京都府立文化芸術会館で「第1回素浄瑠璃の会」を開催した。

「絵本太功記・妙心寺の段」「菅原伝授手習かがみ・寺子屋の段」……。プログラムには本公演で若手・中堅に回ってこない大曲が並ぶ。芸歴に差がある太夫、三味線があえて組み、若手のレベルアップを狙った。今年〔2024年〕8月の3回目には8組16人が出演した。

第2回素浄瑠璃の会で「伏見の里」を語る靖太夫(左)と三味線の鶴沢燕二郎
自由に想像

最近、亡き師の言葉を思い出す。「太夫が床本(ゆかほん)(台本)を読むだけなら、お客さんに本を渡せばいい。書かれていないことを伝えるから価値がある」。太夫の声と息で発した言葉が、三味線の旋律に乗り、客席に届く。少年時代、中島みゆきの歌に抱いた感慨と、どこかでつながっている。

「文楽、とりわけ素浄瑠璃の魅力は、観客が同じ舞台を共有しながら、それぞれの頭の中で想像した別々の風景や物語を見ていること。見る人の数だけ想像のバリエーションがあっていい。その自由度、制約のなさが面白い」

とよたけ・やすたゆう 1979年、東京生まれ。2004年に初舞台を踏む。師匠・豊竹嶋太夫の死去に伴い、21年から竹本千歳太夫門下に。同年度大阪文化祭奨励賞受賞。11月30日、神戸市灘区の原田の森ギャラリー401号室で「盛綱陣屋」を語る。チケットは gidabensuru@gmail.com。

学究肌で、演目に関する文献を調べ尽くして稽古に臨んでいる

◇11月文楽公演 〔2024年〕11月2~24日、国立文楽劇場。第1部は三大名作の一つ「仮名手本忠臣蔵」の大序~四段目。第2部は狂言が原作の「靱猿うつぼざる」と「忠臣蔵」五~七段目。靖太夫は大序、五段目に出演予定。☎0570・07・9900。 

(2024年10月9日付 読売新聞夕刊より)

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