室町時代、世阿弥によって大成され、600年以上の歴史を持つ能は「鎮魂の芸能」といわれる。死者や敗者の悲しみ、苦しみに光を当てて、魂の救済を描いた作品が残っているからだ。古典として繰り返し演じられるだけでなく、現代に新たな作品も生み続けている。〔2024年〕8月に大阪で再演される「能狂言『鬼滅の刃』」と、6~7月にヨーロッパ各地で、平和への祈りを込めて上演された新作能「慈愛 魂のゆくえ」の魅力を紹介する。(編集委員 坂成美保)
人気漫画が原作の「能狂言『鬼滅の刃』」は2022年に東京、大阪で初演され、翌年の追加公演で京都、福岡、名古屋、横浜の4都市を巡演。計35公演を重ねてきた。〔2024年〕 8月に大阪の新劇場「SkyシアターMBS」で再演される。
観世流能楽師・大槻裕一は初演以来、主人公・竈門炭治郎とその妹・禰豆子の2役を演じてきた。これまでは、正方形の本舞台に橋掛かりが付いた能舞台での上演だったが、今回初めて、2階席を含む1300席規模のプロセニアム(額縁状)の洋式劇場で上演することになった。
「照明や舞台装置などの美術も変わり、能舞台ではできなかったことも可能になる。能楽堂バージョンから劇場バージョンへ、スケール感を出し、ブラッシュアップさせたい」と語る。
22年の初演の稽古では、監修した観世流能楽師の人間国宝・大槻文蔵や演出の和泉流狂言師・野村萬斎をはじめ出演者・スタッフが活発に意見を出し合った。
「ここは『船弁慶』に似ている」「『紅葉狩』の舞が使えるのでは」……。演技や囃子の演奏、せりふや使用する道具類にも「殺生石」「土蜘蛛」など、古典作品のエッセンスをちりばめていった。根底には、原作漫画の世界と能楽の親和性がある。
「原作漫画も能も、勝者ではなく弱者、敗者にスポットを当てる。なぜ、この人は殺されたのか、鬼になったのか、と心情を描いていく構造に共通点が多い」
今年〔2024年〕6月には、石川県立音楽堂で、木下順二の戯曲「子午線の祀り」に挑戦した。現代劇でも活躍する萬斎との共演で、せりふ術を学び、「言葉をどうやって客席に伝えるか」という課題と向き合った。能の謡調に発声すると、聞き取りにくい言葉も出てくる。
「『鬼滅の刃』でも、登場してすぐの名乗りの場面など、はっきり発音して言葉を伝えることが大切。聞き取ってもらえなければ意味が伝わらない。強調するべき単語をはっきりさせて息継ぎの箇所も工夫したい」。再演に向けて目標は定まっている。「失敗は怖くない。新しいことはやらないよりやったほうがいい。チャレンジ精神がすべてです」
◇ 能狂言『鬼滅の刃』
原作は、吾峠呼世晴の人気漫画『鬼滅の刃』(集英社ジャンプコミックス刊)。
炭を売って生計を立てていた主人公の少年・竈門炭治郎は、ある日、鬼に家族を殺されてしまう。生き残った妹の禰豆子は、鬼の血を浴びたことで鬼に変身。家族の敵を討ち、妹を人間に戻すため、炭治郎は鬼狩りの組織「鬼殺隊」に入隊し、様々な鬼たちと出会っていく。
野村萬斎が演出・謡本補綴・出演を兼ねる。出演はほかに大槻文蔵、野村裕基、太一郎、(交互出演の)福王和幸、知登ら。
〔2024年〕8月21~25日、SkyシアターMBSで上演される。(電)0570・200・888。
観世流能楽師・山本章弘が手がけた新作能「慈愛 魂のゆくえ」は、6月28日~7月7日、ルーマニア、トルコ、ブルガリア、ギリシャの計4か国で巡演された。
山本は、度重なる戦乱で人の命を奪い、修羅道に落ちた武者たちの鎮魂を願って発展してきた能の歴史に着目。「死者の魂の救済」をテーマに自ら創作した新作能が、「ウクライナ戦争で家族や友人を亡くした人たちの心を安らかにできれば」と考え、各地の劇場や特設舞台などで上演した。
「慈愛」の主人公は難波に住む弥太郎。寺で亡くなった子どもの法要を営んでいると、急に懐かしい香りが漂い始め、見知らぬ都人が現れる。都人には、死んだ子どもの魂が乗り移っており、2人は親子の慈愛の情を感じ、共に舞う。
ルーマニアでは、ヨーロッパ3大演劇祭の一つ「シビウ国際演劇祭」に参加。来年〔2025年〕以降、ほかの東欧諸国での公演も検討している。
公演を終えて帰国した山本は「宗教はそれぞれの国で違うが魂を尊ぶ気持ちは同じ。仏教的な『慈愛』に共感を得られた。来年の大阪・関西万博に向け、日本人の精神性や価値観を世界の人々に伝え、世界平和への祈りを届けたい」と話している。
(2024年7月24日付 読売新聞夕刊より)
0%