能登半島地震は、伝統工芸の産地・北陸地方に大きな被害をもたらした。なかでも石川県は国指定の伝統的工芸品10種を含む多くの工房、職人が制作の場を失い、住む場所にも不自由を強いられている。唯一の生産者として伝統を守り継ぐ、七尾和ろうそくと能登上布は全国からの支援の注文に応えようと制作を再開した。壊滅的な打撃を被った珠洲焼、輪島塗は、展覧会を開催して健在をアピールし、危機を生かして再建へ歩み始めた。九谷焼の赤絵作家は、地震後に入門した若い後継者に未来を託す。官民の支援を支えに生産地の復活への長い道のりが始まった。
国指定の伝統的工芸品「九谷焼」は金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産され、五彩(赤、緑、黄、紫、紺青)と呼ばれる色鮮やかな絵付けが特徴の磁器だ。福島武征さん(79)(能美市)は、明治期に盛んとなった赤絵細描を受け継ぐ第一人者。石川県の無形文化財保持者でもある。
ベンガラと呼ばれる顔料を使い、小紋、花鳥、風月、人物などを白磁の表面に描く。「一粒の米の表面に『南無阿弥陀仏』と書くことができます」(福島さん)と言うほど、均一な極細の線で描いた精緻な絵は、見る者を圧倒する。師を持たず、先人の作品に向き合って独学で研究を続けてきた。
地震の際は「経験したことのない揺れ。上絵を描き終えたばかりの作品のワインびん2本を持って、布団の中に潜り込みました」という。車庫に保管していた白磁は多数損壊したが、幸いにも絵付けを終えた完成作品の損傷はわずかだった。正月明けには制作を再開、国の補助金を使って新たに白磁や電気窯などを購入し、被災以前の態勢に整えた。
気がかりなのは後継者の育成という。福島さんが制作を始めた時は、120人の上絵職人がいたが、50年余を経て約10人まで減った。かつては市内にある県立九谷焼技術研修所の講師を担当し、後進の育成に努めた。現在は、長女の礼子さん(53)が同じ道に入り、4月からは中川詩子さん(24)が工房に入門した。「地震の揺れは大きくとも若い職人を育てる信念は少しも揺るぎません」
(2024年月5日付 読売新聞朝刊より)
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