文楽界の大名跡「豊竹若太夫」が57年ぶりに復活した。クライマックスを担う「
〈十代目若太夫〉
1888~1967年。徳島県生まれ。50年に若太夫襲名、62年人間国宝。理知的、心理的な表現が主流になる中、古風で豪快な芸風を貫いた。豊かな声量を生かし、全身全霊でぶつかる「命懸けの浄瑠璃」と評された。「
逆櫓 」「寺子屋」「志渡寺 」など時代物が得意だったが「酒屋」などの世話物でも名演を残した。
江戸中期の初代(1681~1764年)は、文楽の語り「義太夫節」の創始者・竹本義太夫の門人。美声で知られ、「豊竹座」の劇場主、興行主としても名をはせた。義太夫が旗揚げした「竹本座」と競い合って黄金期「
義太夫節の根幹をなす芸風を「
東西二つの「風」の確立は、義太夫節の曲節の違いを生み、両輪としてその発展を支えた。現在、国立文楽劇場の舞台両袖に掛かる小幕には、両座の座紋が染め抜かれている。襲名によって十一代目がまとうのも豊竹座の座紋だ。
十一代目は、若き日に大江健三郎に憧れて小説家を目指した芸術家肌。1967年、祖父の死去を契機に一大決心をして20歳で文楽界に飛び込む。入門した竹本春子太夫の急死に伴い、竹本越路太夫の門下に移り、質実でリアルな芸風を徹底的にたたき込まれた。
40歳代でC型肝炎の大病に見舞われる。病と向き合い、祈りに救われた経験から、聖書の世界を文楽で描いた「ゴスペル・イン・文楽」にも取り組んできた。
2017年に祖父の前名・豊竹呂太夫を襲名。その頃から、理知的な越路とは対極にある古風で豪快な祖父の芸を意識するようになった。録音テープを聴き、祖父の発声、表現にアプローチしていった。
襲名披露演目「和田合戦女舞鶴」は、初代が初演した時代物で、祖父が十代目襲名で語った作品。現代では荒唐無稽ともいえる忠義の物語を観客に伝えるため枯淡の深みの中に、我が子を犠牲にする母の
公演中に喜寿(77歳)を迎える十一代目は「今はラストスパート。自分に
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十一代目豊竹若太夫襲名披露「4月文楽公演」
29日まで、国立文楽劇場。第1部は「絵本太功記」。第2部は「団子売」「口上」「和田合戦女舞鶴」(襲名披露狂言)「
(2024年4月10日付 読売新聞夕刊より)
5月9日から27日まで(15日は休演)、東京・北千住の「シアター1010(せんじゅ)」で行われる「令和6年5月文楽公演」でも、毎日、「豊竹呂太夫改め十一代目豊竹若太夫襲名披露口上」が予定されています。上演日程や演目などは特設サイトでご確認ください。→ https://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu/2024/bunraku_45.html
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