今年、没後300年を迎える近松門左衛門の代表作「女殺油地獄」の主人公・与兵衛に、歌舞伎俳優・中村隼人が〔2024年〕3月、京都・南座で初挑戦する。監修を手がけるのは、隼人が師と仰ぐ人間国宝・片岡仁左衛門。2009年に「一世一代」として演じ納めた自らの当たり役を伝授する。(大阪編集委員 坂成美保)
「上方の芸風を、今の時代に合ったものとして確立された先駆者です」。隼人は敬慕の念を込めて、仁左衛門を「大師匠」と呼ぶ。仁左衛門が孝夫時代から演じてきた与兵衛には、長く憧れを抱いてきた。
「リアルで生々しい演技、どこか憎めない、かわいげのある与兵衛像。仁左衛門のおじさまが創りあげられた役に近づきたい。東京出身の僕にとって関西の匂いのする演技が目標です」
「伊勢音頭恋寝刃」の喜助、「義賢最期」の多田行綱、「寺子屋」の源蔵、「切られ与三」の与三郎……。ここ数年、仁左衛門の指導を受ける度に成長を遂げてきた。
「たとえ人殺しの役でも観客に嫌われちゃいけないんだよ」「歩き方には役の心情が出る」。教えの一つ一つが心に響く。「役の性根の解釈が深い。僕はまだまだ浅いけれど、深めていくきっかけをくださいます」
「油地獄」は近松晩年の作品。大坂の油屋の放蕩息子、与兵衛は親に勘当された揚げ句、親切にしてくれる同業者の妻・お吉を衝動的に殺してしまう。
実父が亡くなり、母は使用人と再婚。複雑な家庭環境も、与兵衛の孤独の要因になっていると考えた。
「気が弱いくせに、プライドは高く、その場しのぎの発言ばかり。どうしようもない男なんだけど、育ちのよさ、ぼんぼんの甘ったるさもある。親への愛情は本物なのに殺人者にまで変貌してしまう」
油まみれの陰惨な殺しの場面が見せ場になる。「番町皿屋敷」で、恋人・お菊を責め立てた末にあやめる播磨を演じた経験も、役への洞察を深める引き出しの一つになった。
「人間の本質には悪の部分もある。最初は無我夢中でお吉を刺すのだけど、それが快楽に変わる瞬間があり、最後には我に返って恐ろしくなる。変化をグラデーションのように見せていきたい」
殺人者だが、愛嬌も大切に「観客が引いてしまうのではなく、観客を引き込む芝居を目指します」。
昨年は「新・陰陽師 滝夜叉姫」で東京・歌舞伎座初主演を果たし、「新・水滸伝」でも主役を演じるなど、躍進の年となった。
「元々不器用で、20歳代前半は何もできていなかった。一歩一歩、飛び級なしに積み重ねたことと幸運が今につながっている」と謙虚な姿勢を忘れない。
仁左衛門の前では「芝居に対する自分の考えを率直に話すことができる」という。師の期待に応えるためにも、さらなる飛躍を誓う。
◇ なかむら・はやと 1993年、中村錦之助の長男として生まれる。2002年に初代中村隼人を名乗り、初舞台を踏む。屋号は萬屋。「女殺油地獄」は京都・南座の「三月花形歌舞伎」(2~24日)で上演される。共演は中村壱太郎、尾上右近。(電)0570・000・489。
(2024年2月28日付 読売新聞朝刊より)
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