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2022.11.1

王道でありながら異端 市川海老蔵、十三代目團十郎襲名へ

市川海老蔵の十三代目市川團十郎だんじゅうろう白猿はくえんの襲名披露公演が、2022年10月31日、11月1日の特別公演を手始めに歌舞伎座(東京都中央区)で始まる。代々の團十郎は芸の継承者であると同時に、新たな技芸の創始者でもあった。海老蔵も「革新的なことを忘れない姿勢が必要。王道でありながら、異端であり続ける」と語る。(文化部 木村直子)

市川海老蔵のしめくくりの行事として10月22日、成田山新勝寺へ奉告参拝に訪れた(千葉県成田市で)
襲名披露公演 「弁慶」「助六」の二役

七代目による團十郎家の芸・歌舞伎十八番の制定(1832年)から190年。祖父の十一代目の襲名(1962年)から60年。2020年の襲名予定がコロナ禍で延期となり、図らずも節目の数字が並んだ。「團十郎という時間軸に乗せられているのかな。運命であって、気負うことなくやっていくつもり」

11月7日開幕の「十一月吉例顔見世大歌舞伎」ではいずれも歌舞伎十八番の「勧進帳」(昼の部)で智勇兼ね備えた忠臣の弁慶、「助六すけろく由縁ゆかりの江戸桜えどざくら」(夜の部)で江戸一番の伊達だて男・助六をそれぞれ勤める。

2004年の海老蔵襲名時も同じ演目に挑んだが、「勧進帳」では義経と弁慶主従の前に立ちはだかる関守・富樫だった。助六も弁慶も心身に負荷のかかる大役だ。父である十二代目からは、「同時に上演するのは大変なことで危ない橋」と反対されていたという。役者として充実期を迎えて「團十郎襲名まで」と、お預けだった二役同時上演に満を持して臨む。

一方、お茶の間にこれほど浸透した歌舞伎の名跡も近年なかっただろう。時に物議をかもした18年間の「海老蔵」時代について「(大切な)人との別れだったり、普通の44歳が味わうことのない体験をした。芸の肥やしということではないですが、人間としての厚み、魅力があってこそ(客を)魅了するお芝居もできる。そういう意味では、大いに海老蔵を生きた」と振り返った。

9歳の長男・勸玄かんげんも八代目市川新之助として「外郎売」で初舞台を踏む。十二代目は2013年3月の勸玄の誕生を見届けることなく、同年2月に亡くなった。「帰宅すると、父(十二代目)が演じる外郎売のDVDをせがれ(勸玄)が見ている。その姿には心を打たれる」と海老蔵。

「日本の文化を日本人のアイデンティティーとして評価していただく。歌舞伎は一つの役目を担っている」と語る海老蔵

コロナ禍からの回復途上にある歌舞伎界の復興もかかる。若手から重鎮までを網羅した豪華配役で、夜の部の「口上」には松本白鸚、尾上菊五郎、片岡仁左衛門ら大幹部がずらりと並ぶ。

「皆で頑張って伝統を守っていこうという意思表示。襲名はみんなが御輿みこしを担いでくれる『お祭り』。先輩や同輩、後輩が襲名する時には自分が担ぐ側になる」

歌舞伎座での襲名披露公演は2か月連続で、11月公演は残席わずか。2024年10月にかけて大阪、京都、福岡などを巡業する。

荒事と不動明王 成田山と深い縁

初代團十郎は、江戸歌舞伎の象徴である「荒事」の開祖として知られる。緻密ちみつで写実性のある上方の「和事」に対し、勇壮で荒々しい様式芸だ。屋号「成田屋」は、初代以降続く市川家と成田山新勝寺(千葉県成田市)との深い縁に由来する。

初代の父は成田山ほど近くの出身。子宝に恵まれなかった初代が成田山に祈願し、後の二代目となる長男を授かった。その霊験に報いるため、親子で不動明王を演じ、江戸庶民に人気を博した。歴代の團十郎が不動明王を演じる際の見えで片方の黒目を伏せる「不動の目」がある。この演技手法は初代が成田山に参籠修行して感得したと伝えられている。

海老蔵は〔10月〕22日、長女の市川ぼたん、勸玄と共に成田山を「奉告参拝」に訪れ、襲名興行の成功を祈った。同寺の岸田照泰貫首かんすは「市川家の荒事と不動信仰は、その出発点で固く結ばれている」と解説する。「新團十郎丈には、今後も市川家代々の芸を継承されるとともに、現代歌舞伎に新しい生命力を吹き込まれることを念願してまない」とコメントを寄せた。

(2022年10月26日付 読売新聞朝刊より)

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