2021.11.16
「刀 銘 兼元(孫六兼元)」
関鍛冶伝承館(岐阜県関市)の江西奈央美・学芸員へのインタビュー。今回は、鍛冶に引かれ、関市に移り住んだ経緯や、今も多くの鍛冶職人が活躍する関市の魅力をうかがいました。
―小さい頃から文化や歴史に興味をお持ちでしたか。
小学校の時から、歴史小説を読むのが好きでした。特に作家・宮城谷昌光さんの、中国史を題材にした小説がすごく面白くて。宮城谷さんは執筆前にまず、古代中国の史料を読んで、文字の解釈から行い、「この文字はこういうことを表しているから、史実はこうだったんじゃないか」と、ストーリーに落とし込んで小説を書いておられます。その奥深い世界に引き込まれました。
地元の福岡市博物館には、有名な金印(漢倭奴国王印)などがあり、そうした古代の日本と大陸の交流を伝える宝物を「小説に出てきたものは、これだったんだ」と思いながら見ていました。今振り返ると、福岡という土地ならではの経験だったと思います。
中学校以降も変わらず、歴史が好きでした。教科書の資料集に掲載されている年表に、世界のさまざまな地域の出来事が、横並びで書いてありますよね。日本の縄文時代に、この地域ではこんな発明がされていたとか。同じ時代に世界各地で何が起きていたのかを知るのが面白くて、資料集は今も使っています(笑)。
その後、愛知学院大学文学部歴史学科で中国史を学びました。原典をひも解いて漢文を訳しながら、古代の漢の時代の、シルクロードの東西交流を研究しました。
―卒業後、半田市立博物館(愛知県)に勤められたのですね。
半田市は、江戸時代からお酒やお酢などの発酵食品の生産が盛んなので、博物館ではそれに関する民具資料や歴史をまとめていました。ミツカングループから民具資料を頂いて、お話を聞きに行ったり、記録を取ったり。また、半田には、昭和30年頃まで鍛冶屋さんがいたので、昔使われていた道具を調査したり、聞き取りをしたりもしました。それがきっかけで、鍛冶仕事をする人に興味を持ち、のちに、関鍛冶伝承館に移りました。関市には、今も10人の刀鍛冶がいらっしゃるのですが、これはすごく珍しいことだと思います。市内にはハサミの会社、包丁の会社などがあり、ナイフなどさまざまな鍛冶職人がいらして、研ぎ専門など、周辺の仕事の職人さんも多いです。
―江西さんが鍛冶に引かれたわけは?
鉄から刀を作り出せるということ自体が、そもそもすごいと思います。
また、刀の作り方や材料、道具が、昔も今もあまり変わっていないことも魅力です。鍛冶屋さんが、描かれた昔の絵図を見ても、今とほとんど変わりません。ですから、昔の刀を見て、どのように加工したのか再現することができるのです。ほかの工芸では、道具自体が失われていることも多いので、そうした意味でも、すごく特殊で面白いと思います。
平成16年(2004年)には、関市の依頼を受けて、市内の職人さんたちが孫六兼元の刀を納める鞘を作りました。それが「黒呂漆共蒔絵鞘打刀美濃拵 元禄・秋の野辺」です。現代では、鞘は刀より需要が少ないため、関市に伝わる刀剣の中で、付属の鞘がないものの制作を通して、技術の継承も目指す事業です。鞘の各パーツを関のさまざまな職人さんが作りました。職人の町なので、ほぼすべてを市内で作れてしまうのです。目を凝らして見ていただくと、随所に細かい仕事がなされています。金具のデザインは秋の鈴虫やカマキリで、鍔の右側は菊の花、鞘の先の方はススキの模様など、秋草で統一しています。
―所蔵品の中でもう1点、オススメがあるとうかがいました。
「脇指 銘 奈良太郎藤原兼永彫刻同作」です。実際に使うことのできる刀で、表側には、三鈷杵(密教の儀式で使う法具)がデザインされています。そして、刀の裏面にはなんと、百人一首の100首の和歌と、詠み手100人の姿が彫られています。刀身が31.4センチなのですが、その小さいスペースに、とても細かく見事に表されているのです。
こうした和歌を入れた刀剣は、明治から昭和にかけて作られたようです。当時、国内で刀の需要が減ったため、美術的な価値を付加することで需要を上げようとしたのでしょう。輸出用の可能性が高いと思います。とはいえ、当館にはこれも含めて3振りのみで、国内全体でもわずかですし、海外に伝来した例も知りません。他の作例はこれよりも大きな文字で六歌仙や三十六歌仙などを彫ったもので、この刀のように、百人一首を彫ったものは、ほかに見たことがありません。
この刀の持ち手に入っている文字から、兼永という刀鍛冶がこの模様も彫ったようです。さらに拡大した写真で見たところ、この模様を彫りだしたときの鏨の跡も見えました。ですから、手彫りしたことは間違いないと思います。現代の職人さんは、最初にマジックなどで文字を下書きすることもあるそうなので、この刀も下書きをしてから彫ったのかもしれません。それにしても信じられないほど細かいですよね。いろいろな方に聞いてみましたが、現代ではここまで細かく彫ることができる職人さんはいないようです。昭和初期の刀ですが、今では作り方が分からないのです。当時、こんなことができる人がいたということが驚きです。
また、刀剣は彫りを施したあとに、鉄くずが出るので、表面を鏡のように磨いて仕上げるのですが、この百人一首が彫ってある面も磨いてあります。彫った兼永もすごいですが、このように繊細に磨き上げることができた職人もすごいと思います。
―作り方の記録は残っていないのですか?
当時は、技術を他人には教えない傾向が強かったこともあり、残っていません。ただ、兼永の家系は継がれているので、いつか調べさせていただけたら、なにか分かってくるかもしれません。
関は、国内で古くから刀作りの盛んな五つの地域の刀工流派「五箇伝」の一つ、「美濃伝」に含まれる名産地ですが、実地調査があまり進んでいません。今も10人の刀鍛冶がいて、江戸時代までさかのぼれる家系もあるので、調査が進めば、刀工の系譜が比較的分かるのではないかと思います。それが、美濃伝の地位向上や周知にもつながるだろうと考えています。
◇ ◇ ◇
江西さんの解説を通して、関に息づく、驚くべき職人技を堪能していただけたのではないでしょうか。細かな装飾を間近に見てみたいですね。関鍛冶伝承館では、展覧会の様子を動画でシェアしたり、月に一度の鍛冶場での制作をライブ配信したりするそうです。ぜひ、チェックしてみてください。
【江西奈央美(えにし・なおみ)】1988年、福岡県生まれ。愛知学院大学文学部歴史学科卒。半田市立博物館(愛知県)勤務を経て、2016年から関鍛冶伝承館勤務。
プロフィール
美術ライター、翻訳家、水墨画家
鮫島圭代
学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。著書に「コウペンちゃんとまなぶ世界の名画」(KADOKAWA)、訳書に「ゴッホの地図帖 ヨーロッパをめぐる旅」(講談社)ほか。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/
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