かわいい象牙製のひよこが銀製の籠に入ったボンボニエール。底部には見慣れない刻印がある。これは実は、台湾総督府の紋章。今回は台湾と樺太で制作されたボンボニエールをご紹介しよう。
台湾は明治28年(1895年)、日清戦争後の下関条約によって、澎湖諸島とともに清国から割譲され、以降、昭和20年(1945年)までの半世紀、日本の統治下におかれた。
その台湾統治のために、明治28年6月に台北に設置されたのが台湾総督府である。総督は軍人が務め、初代は樺山資紀。その後、桂太郎、乃木希典 、児玉源太郎と続いた。
台湾総督府の庁舎は、東京駅を設計した辰野金吾の弟子・長野宇平治が基本設計を担当した建物で、大正8年(1919年)に竣工した。赤煉瓦造りで、建物内には、台湾初のエレベーターが設置され、防火のために館内は禁煙とし、喫煙室を別に設けるなど、当時としては画期的な試みがなされた。庁舎は現在、中華民国総統府として使用されているので、台北を訪れた方はきっとご覧になっていることと思う。
その台湾総督府の紋章が、蓋に刻まれたボンボニエールもある。六角形に三脚付きで、「貝桶形」とされるが、そう言ってよいのか……。残念ながら、時代も催事名も不明である。
もう1点ご紹介するのは、蓋表に神社の図が描かれ、蓋裏に台湾総督府の紋章が刻印されているものである。この神社は、かつて台北にあった台湾神社(後に台湾神宮と改称)を描いたと思われる。
台湾神社は明治34年(1901年)に創建された。祭神は北白川宮能久親王と大国魂命などである。
北白川宮能久親王は、明治28年(1895年)に台湾平定のため、近衛師団長として出征した。しかし、台湾でマラリアに罹患し、同年10月28日、台南にて死去した。皇族で初めての海外殉職者であったことから、出征先で死去したヤマトタケルになぞらえて、台湾神社創建の際の祭神とされた。
台湾神社だけでなく、能久親王終焉の地である台南に創建された台南神社(現・台南市美術館)はじめ、統治下で建立された神社70社余りが能久親王を祭神としていた。
台湾神社は、台湾の総鎮守として、最も重要な神社とされた。総督府は能久親王の命日を「台湾神社祭」と定め、この日を全島の休日とした。大正12年(1923年)4月17日には、皇太子(後の昭和天皇)が台湾訪問の際に台湾神社へ参拝している。恐らくは、その際に制作されたと推測されるボンボニエールである。
もう一つは、樺太庁の紋章があるボンボニエールである。
日露戦争後の明治38年(1905年)、ポーツマス条約で日本領となった北緯50度以南の樺太統治のため、明治40年(1907年)に設置された行政官庁が樺太庁である。
このボンボニエールは銀製行器形で、蓋表に金で樺太庁の紋章を添付し、蓋裏に宮家共通紋を配す。
皇族が樺太を訪問した、一番大きな行事と言えば、大正14年(1925年)の皇太子の樺太訪問であろう。しかし、その際のボンボニエールであれば、宮家共通紋ではなく、天皇家紋を配すと考えられる。そうなると、昭和6年(1931年)8月の閑院宮戴仁親王の樺太・北海道方面視察の際のものだろうか。
台湾総督府、樺太庁のボンボニエールは、類例も来歴が判明するものも少ない。情報があれば、ぜひお知らせいただきたい。
プロフィール
学習院大学史料館学芸員
長佐古美奈子
学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。
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