琉球・沖縄の象徴、首里城の火災から4年、正殿などの復元工事が本格的に始まった。今回の火災後、太平洋戦争で焼失した4代目の正殿(旧国宝)の資料の研究が進み、かつての姿により近い形で復元し2026年の完成を目指す。材料の調達や所蔵文化財の修理を担う技術者不足などの課題を抱えながら、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして首里城はかつての輝きを取り戻すべく歩み始める。
首里城正殿などには琉球の「手わざ」が至る所に施されていた。外壁、柱は漆塗りの上に金箔などで飾り、屋根の「龍頭棟飾」は陶磁、龍柱は石の彫刻、国王の座所は華やかな織物で飾っていた。今回の正殿復元工事は、地元沖縄で継承する伝統技術を生かし、次世代に伝えていく取り組みも合わせて進めている。柱に使う材木を確保するため100年後を見据えた植林活動も始まった。被災した美術工芸品の修理へ人材確保も必要だ。首里城復元は、琉球の美を守り継ぐための「未来への投資」でもある。
2019年の火災 10月31日未明、首里城正殿から出火、北殿、南殿・番所、書院・
鎖之間 、黄金 御殿 、二階 御殿、奥書院の計7棟を全焼、奉神 門と女官居室の一部を焼いた。展示室、収蔵庫にあった美術工芸品などの文化財約400点が焼失、不明となった。出火の原因は、特定できていない。
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2022年に東京国立博物館で開催した沖縄復帰50年記念特別展「琉球」を担当した同館の原田あゆみ企画課長(52)(東南アジア美術史)に首里城の歴史とこれからを聞いた。
首里城は14世紀頃の創建とされ、全容が整ったのは16世紀。城内には王の居城のほか、行政機関や外交儀礼の場、
しかし、沖縄文化の研究者・鎌倉芳太郎や建築家・伊東忠太の尽力で沖縄神社拝殿として旧国宝に指定され、解体の危機は免れたが、太平洋戦争で1945年に跡形もなく破壊された。
正殿は沖縄県の日本復帰から20年にあたる92年に復元された。私が沖縄県立芸術大学の学生として沖縄に移り住んだのは復元間もない頃だった。復元された真新しい正殿は地元の人にとってはよそよそしく映っていたように思えた。初めて正殿を見る人も多く、すぐには受け入れがたかったのだろう。
その後も地道な調査研究によって整備が進められ、琉球・沖縄の歴史・文化を象徴する城郭建築として沖縄の人々の大きな心のよりどころとなっていった。
2019年10月の火災で正殿は再び焼失した。その衝撃ははかり知れないが、関係者は皆前を向いている。沖縄県では長年にわたり、技術の復元と人材育成に取り組んできた。首里城正殿が大きな課題をいかに乗り越えて復元されるのか、多くの人に関心をもって見てほしい。
11世紀 地方領主、按司が各地にグスク(城)を築く
1368年 明建国
14世紀末 首里城築城
1429年 尚思紹、尚巴志が琉球王国統一
1453 首里城全焼
1470 第一尚氏の重臣、金丸(尚円)がクーデターを起こし
第二尚氏として国王に
1592 豊臣秀吉が朝鮮出兵の軍役を琉球に課す
1609 島津氏が琉球に武力侵攻
1634 江戸幕府に初の慶賀使・謝恩使を派遣
1660 首里城正殿など焼失
1663 清から初の冊封使来訪
1671 首里城再建
1709 首里城正殿など焼失
1715 首里城再建
1872 琉球藩設置
1879 明治政府が琉球藩を廃し沖縄県設置
1925 首里城正殿(沖縄神社拝殿)が旧国宝に指定
1945 太平洋戦争沖縄戦で首里城破壊
1972 沖縄が日本に復帰
1992 首里城正殿復元
2000 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録
2006 「琉球国王尚家関係資料」が国宝に指定
2019 首里城正殿など焼失
2021 「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」が世界遺産
に登録
2022 復帰50年、首里城正殿復元工事始まる
(2023年11月4日付 読売新聞朝刊より)
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