文化庁、宮内庁、読売新聞社による「紡ぐプロジェクト」の修理助成事業は、2021年3月に国宝3件、重要文化財2件の作業(20年度分)を完了した。
傷みが進まないよう修理を進め、和紙や絹、板、漆といった自然の素材を補強するなど、安定した状態を保ち、次の世代に引き継ぐ。所蔵する神社、寺、保管先の博物館などは、修理を終えた「宝物」を守り継ぐ思いを新たにしていた。
(江戸時代・1786―87年 本紙は、縦174.3cm×横185.5cm)
本紙は経年による紙の変色で茶色っぽくなった箇所と、白く脱色した箇所が混在していた。画面下の大きな欠失箇所は黒ずんだところもあり、一律な色調で統一するのが難しいため、文化庁調査官と慎重に検討を重ね、微調整を行いながら仕上げたという。
成就寺(和歌山県串本町)所蔵の重要文化財「方丈障壁画 長沢芦雪筆」の壁貼付1面の修理が終わり、寄託先の和歌山県立博物館(和歌山市)で関係者にお披露目された。
「方丈障壁画」は「奇想の画家」として知られる長沢芦雪(1754~99年)が1786年頃、師・
修理されたのは、中国の詩人を題材にした「
昨年7月に取り外した後、京都国立博物館(京都市)の文化財保存修理所で約8か月かけて修理した。表面の汚れは除去し、本紙の欠損部分は同じ素材の紙で補ったうえで、目立たないように補彩した。
修理を担当した「松鶴堂」の森田健介技師長は「補彩の方向性を誤ると修理した所に目が行くので、細心の注意を払った」と言う。
一方、修理の過程で、作品の右側部分は過去に本紙と違う素材の紙を継ぎ足して補修していたことが判明。成就寺や文化庁と協議した結果、補修部分も本紙と同様に価値があるとして、そのまま残すことにした。
修理を終えた方丈障壁画は、今秋に和歌山県立博物館で展示する予定だ。大崎克己住職は「寺から芦雪がなくなる寂しさはあるが、後世に残す意義の方が大きい。鑑賞や研究に役立ててほしい」と話した。
芦雪の作品は、成就寺代々の住職や
同寺の障壁画は、損傷を食い止めるため、2000年以降、成就寺から100キロ以上離れた和歌山県立博物館へ順次寄託されている。16年に同館で芦雪の展覧会が開かれた際には、檀家で連れだって訪れ、「お寺の絵が大事に展示されていて、なんだかうれしくなってね。みんなで『あそこにあった絵やな』と話していて、係員に注意された」そうだ。
長沢芦雪が和歌山県を初めて訪れたのは天明6年(1786年)。師である円山応挙の名代として、応挙が手がけた絵を県南部のゆかりの寺へ届けたという。現地では京都から有名絵師がやって来たと評判になったといい、半年ほどの滞在中、成就寺をはじめとする寺院の障壁画など、国の重要文化財の指定を受けたものだけでも膨大な作品を描き残した。
写真撮影や剥落止め、クリーニングを行ったのち、絵が描かれている本紙の表面に薄い紙を貼り、裏面の修理に備える
本紙を裏返し、以前の修理で本紙の裏側に施された旧裏打ち紙を取り除いてから、新たに用意した紙で本紙の欠失部分を補修した
本紙の裏側に、薄く丈夫な和紙を貼った
杉材を用いて下地骨を組んだあと、和紙を貼って乾かす作業を繰り返し、下地を作る
補修した部分の色味などを、本紙の地色に合わせた。全体の統一感が出るよう色味や明度を合わせ、鑑賞の妨げにならないよう調整を重ねた
下地に本紙を貼る。下地の裏側にも裏紙を貼って乾燥させパネル状にした。最終的な調整を行い、修理の仕上げへ
修理を終えた障壁画は、10月16日から11月23日まで、和歌山県立博物館で開催する創立50周年記念特別展「きのくにの名宝―和歌山県の国宝・重要文化財―」に展示する。新井美那学芸員は「芦雪は県民にとって親しみのある画家で、きれいになった絵を見ていただく日が待ち遠しい」と話していた。
(2021年5月2日読売新聞より掲載)
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