2020.4.9

【紡ぐインタビュー】女優・寺島しのぶ<上> 愛して、嫌って、打ちのめされて…歌舞伎との切っても切れない仲

日本文化は、直接的にそれを生業なりわいとされている方々だけでなく、ビジネスやスポーツなど、異なる分野で活躍されている方々にも様々な影響を与えています。日本の美術や伝統芸能などのエッセンスを自身の仕事や生き方に取り入れている人々に、その文化への思い入れを語っていただく企画〈紡ぐインタビュー〉を、スタートさせます。

第1回のゲストは、女優の寺島しのぶさん(47)。しのぶさんは、歌舞伎を「切っても切れない仲」と形容する。父は歌舞伎役者で人間国宝の尾上菊五郎さん、母は女優の富司純子さん、弟は歌舞伎役者の尾上菊之助さん。歌舞伎の名門・音羽屋の家に長女として生まれたしのぶさんに、歌舞伎との深い縁を振り返ってもらった。

寺島しのぶさん ©資人導(Vale.)
歌舞伎に憧れた少女の悲しみ

「生まれた時から歌舞伎座に行き、楽屋に出入りして、歌舞伎を見るのが習慣でした。歌舞伎の環境に生まれたという感じですね。どうして、子ども心に歌舞伎にひかれたのか……歌舞伎って、すごくデフォルメの世界ですよね。顔(化粧)も派手だし、服装の色合いも美しい、大きな声を出して、大勢のお客さんが拍手をする。華やかですよね。

DNAなのか、私は小さな時から人前で何かをやるのが好きな子でしたから、うらやましいなぁ、自分もあそこに立ちたいなぁという感じで見ていたんだと思います。歌舞伎を楽しむというより、歌舞伎の舞台に出ている自分を想像しながら見ていたという感じです。

家に帰ったらサインペンで腕に入れ墨を書いて、額にトウガラシを載せて弁天小僧(※1)をやったり、ビニールヒモをホウキのようにして頭に載せて鏡獅子をやったり。遊びは、ずっと歌舞伎ごっこ。だから、女の子が歌舞伎をできないということを、全然意識しなかった。考えてもいなかったんです」

歌舞伎役者にあこがれた少女が、歌舞伎が男性のみで演じられるという現実を知ったのは、5歳違いの弟の菊之助さんが初舞台を踏んだ1984年、11歳の時だったという。

「『え、なんで私、出られないの?』って。親からも『あなたは出られないよ』と言われた覚えがないんです。母に以前、『何で言ってくんなかったの』と尋ねたら、『もうわかってると思っていた』みたいに言われましたから。

もちろん、子役なら女の子も出られるんですよ。(松本幸四郎さんの妹の)松たか子ちゃんも出ていましたから。ただ、『あそこに出たい』と父に言うのが、恥ずかしいというか。屈折しているんですよ、私。それを言ったことで自分が弱く見えちゃうんじゃないかとか、子どもの頃から余計なことを考えちゃう。天真爛漫らんまんに『あの舞台に出たーい』ということを、本当は言いたいのに、言えない子どもだったんです」

菊五郎さんから出演を薦められたことはなかったのだろうか。

「一切、もう一切ないですよ。それで、日本舞踊や鳴り物、太鼓、鼓といったお稽古事を……5歳くらいからかなぁ、弟と一緒にやっていたんです。それも全部、やめましたね。その時に。だって、自分が歌舞伎に出るためにやっていたから。

それからは、歌舞伎も一切見なくなったんです。見たらやりたくなっちゃうから、自己防衛ですよね。だから学校では部活に専念して、考えないように、あえて遠ざけていました。あれだけ歌舞伎を見に行っていたのに、舞台も、映像ももう一切、まったく見ませんでした」

女優になって 変わる歌舞伎の見方

大学在学中の1992年、しのぶさんは文学座に入団し、女優の道へ進む。

「その頃、NHK大河ドラマ『琉球の風』(93年放映)に出演したんです。その時のニュースの見出しがね、『歌舞伎は大嫌い』って、私が言った言葉が使われていましたね。大好きの逆というか、まだモヤモヤしていたんでしょうね。はっきり言って、親の七光りでドラマに出させてもらっているのに、はったりで言ったんでしょう。

でも、自分が女優を真剣に目指そうと思うと、着物を着たりとか、たまには踊らなきゃいけないシーンがあったりとか。そういう時に、やっぱりまた見ようかな、と思ったりするんですよね。それで徐々にまた見るようになりました。女性が出られないという現実を受け止めながら、本当にちょっとずつですよ」

久しぶりに触れた歌舞伎の舞台。印象は変わったのだろうか。

「見方は変わってくるのかな。子どもの時は、ただ単にきらびやかでカッコイイ世界だと思っていました。女優を始めると、女形さんの動きをずっと見て、ああ、女郎の時はこういうしぐさをするんだとか、私ならこういう言い方をするかなとか。深く見るようになりました。女優としての勉強の延長ですね」

その後は、女優としてドラマ、映画、舞台と活躍の場を広げていったしのぶさん。2004年の映画「赤目四十八瀧心中未遂」をはじめ、数多くの女優賞を受賞し、10年には、若松孝二監督の映画「キャタピラー」で第60回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞した。

まさか歌舞伎の舞台に

17年2月、東京・六本木のEXシアター六本木で、市川海老蔵さん主演の舞台、六本木歌舞伎「座頭市」が上演された。リリー・フランキーさんが脚本、三池崇史さんが演出を担当した話題作に、しのぶさんは花魁おいらん役で出演。女優として、歌舞伎の舞台を踏むこととなった。

「女形さんではないから、私が女優として出る意味は何だろうと、すごく探っていました。歌舞伎役者の方々に囲まれると、私は女だなって思った。まず体形が違う、声の質も違う。もちろん難しかった。

これまでずうっと良い物(歌舞伎)を見させてもらっていて、じゃあ、いざ、『あなたがやってごらんなさい』と言われたときに、なんだかワナワナとしている自分がいて、情けないと思った。見るのと、やるのは本当に違う。一番難しかったのは、お座敷でちょっとひと踊りをするところでした。『あぁ、やめずに舞踊の稽古を続けておけばよかったなぁ』と思いました。母からは、『もっとうまく踊れるでしょう!』と、こてんぱんに言われました。

稽古中は、後半の芝居は海老蔵さんと(市川)右團次さんの2人の立ち回りでやろうとしていたんです。それがリリーさんが『これは、しのぶさんがいる方が面白い』と言われて。迷子みたいに映らないか、浮いちゃったら邪魔になって申し訳ないと不安でしたが、結局(2人の中に)入ることになって。

入るからにはちゃんとやりたかったから、がんばりましたけれど、どう映っていたかはわからないな。けれど、自分の中では……これ以上ない喜びでした。いや、本当に。稽古場も、海老蔵さんが優しく迎え入れてくださったからというのもありますが、こういうところに育ったから、居心地が良かった。快適でした」

息子も弁天小僧のマネを……

「自分が歌舞伎に出ると、息子の気持ちもわかりました。昔は彼に対して、もっとこうして、ああして、と言っていたんですけど、実際に自分が肌を通して歌舞伎というものに触れると、そう簡単にはいかないよねって」

息子とは、しのぶさんの長男、寺嶋眞秀てらじままほろくんだ。フランス人アートディレクターのローラン・グナシアさんとしのぶさんとの間に12年に生まれた。15年には歌舞伎座の舞台にサプライズで登場し、17年5月、歌舞伎座で上演された菊五郎さん主演の「魚屋宗五郎」(※2)で、酒屋の丁稚でっちを演じて歌舞伎の舞台に初お目見えした。

「歌舞伎を好きになってくれたらいいな、と思ってはいました。英才教育というより、家の中にはDVDもあるし、歌舞伎に囲まれた環境ではありましたから。2歳ぐらいの時に劇場に連れて行ったんです。そうしたら、昼夜ずっと舞台を見ていて。帰ろうとしたら、『帰らない』と言ったんですよ。じゃあ、また次も見る? 次も見る? と言っているうちに……眞秀も家で弁天小僧のマネをやりだしたんですね」

<続きはこちら>

【紡ぐインタビュー】女優・寺島しのぶ<下> 入り口は世話物で エスプリ利いた“しのぶ流”歌舞伎の楽しみ方

※1 弁天小僧

河竹黙阿弥の名作「青砥あおと稿ぞうし花紅彩画はなのにしきえ」に登場する「白浪しらなみ五人男」の一人、弁天小僧菊之助のこと。美しい武家の娘に化けた弁天小僧が、仲間と共に呉服商をゆすろうとするが、正体が男だと露見すると開き直り、「知らざァ言って聞かせやしょう」で始まる七五調の名セリフを聞かせる。代々の音羽屋(菊五郎家)のお家芸として受け継がれている。

※2 魚屋宗五郎

本外題は「新皿屋舗しんさやらしき月雨暈つきのあまがさ」。奉公に出ていた妹が無実の罪で殺されたことを知った魚屋・宗五郎が、禁酒の誓いを破り、家族の制止を振り切って奉公先の旗本屋敷に乗り込んでいく物語。江戸庶民の暮らしぶりを活写する世話物の代表作。

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