2019.9.18

【橋本麻里のつれづれ日本美術】日本美術史の履修はたった1コマ! 無駄に広い関心の幅がムダではなかった話

「世界を変えた書物」展(福岡展)の会場で。29日まで、JR九州ホール(JR博多シティ9F)で開催中。会期中無休。入場無料。

幼小の頃は、上野といえば東京国立博物館……ではなく国立科学博物館、だった。中学生くらいの頃には科学雑誌「ニュートン」を定期購読していたし、今でも「日経サイエンス」の記事を書いたり、「世界を変えた書物」展という、自然科学の歴史をたどる稀覯書きこうしょの展示に関わったりしており、自然科学への関心は薄れていない。

万葉集とシルクロードと平安文学

過去の日本へ関心が「広がった」最初のきっかけは、小学校の国語教科書に掲載されていた、万葉集の歌だったように思う。柿本人麻呂「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」巻一(四十八)――払暁ふつぎょうを告げる光と、まさに没しようとする月とを、阿騎野の東西に描いてみせた空間的な壮大さ。そしてその背後で日月になぞらえられた人々の政治的な立場を重ね合わせた、歌という表現の複雑さや古語の美しさに引き込まれた。

とはいえ40年前には子供の手が届く範囲に、それほど詩集・歌集があるはずもない。だからその頃、朝日新聞の1面で大岡信「折々のうた」が、さまざまな時代・地域でうたわれた詩歌を紹介していたのは僥倖ぎょうこうだった。私は水を飲むように、和歌に限らぬ多彩な詩歌を、毎日「飲み干し」ていた。

 一方、テレビではNHK特集「シルクロード」が放送されており、小野老おののおゆが「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今さかりなり」と謳った奈良の都と、流砂を渡り、葱嶺そうれいを越えた彼方の国々とがつながっていることが、ひどく不思議で、魅力的に感じられた。

中学生になると橋本治や田辺聖子、ジュブナイルの氷室冴子らを通して、まず平安時代の女房文学に目が開かれ、和漢の古典に親しむようになっていった。まだ美術の「び」の字も出てこないが、この時期から続く歴史や古典文芸、文化へ茫漠ぼうばくと広がる関心が、仕事として美術について書くようになってからの足場になっている。

ついに美術との付き合いスタート

そうこうしているうちに大学受験を迎えると、ちょうど天安門事件からベルリンの壁崩壊にいたる騒然とした状況だったことを契機に、国際基督教大学(ICU)教養学部に新設されたばかりの国際関係学科へ進学。ICUでは必修だった英語で開講される授業の単位を満たすために、日本美術史の授業を1コマだけ履修したが、浮世絵中心だった……ことしか記憶にない(そんな有りさまで単位は取れたのだろうか)。

諸般の事情で、卒業論文を提出してからやっと就職活動を始めたが、最初に受けたいけばな草月流の出版部門である「草月出版」が採用してくれたため、就活は開始即終了。「砂の女」「利休」などの映画監督として、世界的な評価を得ていた勅使河原宏氏が家元を務めていたこともあり、会員誌の内容は半分いけばな、半分美術。美術との日常的なつき合いが始まったのは、やっとここからだ。

一般財団法人草月会の理事だった林屋晴三氏(陶磁史研究)が、草月会館1階の イサム・ノグチの石庭《天国》 に設けた茶席で、杉本博司《海景》を掛け軸に仕立てて床に掛けたしつらえや、草月ホールで上演された「橋の会」による復曲能「重衡」、同じく新作能「鷹井」(高橋睦郎)などに接するうち、古典と現代とが接するところに散る火花の美しさに魅了されるようになっていった。

数年で草月出版を辞してフリーランスのライターとなり、当初は現代美術やデザイン、建築などの記事も少なからず扱っていたが、間もなく日本美術を主な領域として絞り込んだ。とはいえ大学で美術史を専攻したわけでもない門前の小僧は、付け焼き刃の勉強を必死でこなすしかない。初期の頃、ある大学院の授業にしばらく潜り込ませてもらったのは、「何をどう学んでいくべきか」という手がかりを得るためのいい経験になった。

ミクロの眼? マクロの眼?

それでも「なぜ日本美術を」とかれるたび、答えに苦慮している。自分自身が強い関心を持ち続けられる対象だということも、確かに理由のひとつだろう。だが、「とにかく日本美術が好きで好きで」というのとは少し違う。「関わることができるなら報酬は少なくても」という志願者の多い領域だが、私の場合は、古典と現代を「両刀遣い」できる書き手は少ないからニッチな領域でもやっていけるだろう、という実利的な計算があった。2000年以降のいわゆる「日本美術ブーム」と、ライターとして独立したタイミングがたまたま合ったのも、運が良かった。結果的に現在まで、日本美術のライターとして生き残ることができている。

高性能な顕微鏡で見るように、対象物を精密、かつ分析的に見ることと、広角レンズで捉えるように、対象物を大きな背景と共に把握すること。どちらかといえば後者の方が得手であるのは、興味関心の幅が無駄に広かったせいかもしれない。この連載も日本美術、と呼ばれているものの思わぬ「広がり」を紹介できるものにしたいと考えているので、どうぞよろしくおつきあいを。

橋本麻里

プロフィール

ライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。

橋本麻里

新聞、雑誌への寄稿のほか、NHKの美術番組を中心に、日本美術を楽しく、わかりやすく解説。著書に「美術でたどる日本の歴史」全3巻(汐文社)、「京都で日本美術をみる[京都国立博物館]」(集英社クリエイティブ)、「変り兜 戦国のCOOL DESIGN」(新潮社)、共著に「SHUNGART」「北斎原寸美術館 100% Hokusai !」(共に小学館)、編著に「日本美術全集」第20巻(小学館)ほか多数。

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