重要文化財 松鷹図襖・壁貼付(部分)
狩野山楽筆 江戸時代・寛永3年(1626年)
京都市(元離宮二条城事務所)蔵
特別展「桃山―天下人の100年」通期展示

2020.10.16

【大人の教養・日本美術の時間】金箔と「黄金の時代」 

金のまばゆい輝きは、太古から人々を魅了してきました。現代の生活でも、祝いの席での金屏風きんびょうぶ、漆器や陶磁器の装飾、豪華な着物の刺繍ししゅう、さらに身近なところでは、金箔きんぱくを散らしたソフトクリームや、金箔入りの蕎麦そば、金箔の美容パックまであります。観光スポットとしては、建物に金箔が張り巡らされた、京都の金閣寺、平泉の中尊寺金色堂、日光の東照宮が有名ですね。

黄金は極めて産出量の少ない金属です。腐食しにくく、軟らかくて細工しやすい特性からも、洋の東西を問わず、珍重されてきました。その輝きは光や神、不死を連想させ、支配者たちは金を身にまとうことで力を誇示したのです。

日本では古来、仏殿や仏像、仏画、経典などの装飾に金が用いられてきました。

ご存じ、奈良の大仏は、奈良時代の建立当初、表面が金メッキされ、金色に輝いていました。大仏の造立中に東北・陸奥国で発見された大量の黄金(砂金)が使われたと伝わります。以後、陸奥は金の一大産出地となり、都へと運ばれました。そして、奥州平泉では、中尊寺金色堂に代表される黄金文化が花開いたのです。

国内では、奈良時代から安土桃山時代までに約225トンの金が産出されたといわれ、金の産出が少ない中国大陸に盛んに輸出されました。そのため、日本は金が豊かな国というイメージが広まり、マルコ・ポーロが『東方見聞録』に記したように、西方から中国を訪れた商人たちも「黄金の国ジパング」への幻想を抱いたのです。

黄金の時代

時を経て、安土桃山時代、金山の発見により金の産出量が急増しました。派手好きな豊臣秀吉が天下を取ると、きらびやかで力強い桃山文化が花開き、「黄金の時代」を迎えます。秀吉が建てた黄金の茶室をはじめ、武具の装飾、着物に施された金糸の刺繍、金蒔絵きんまきえを施した漆器など、様々なものが金色に彩られました。

そして、希代の天才絵師・狩野永徳を中心に、数多くの金碧きんぺき障壁画や屏風絵が生み出されました。金碧障壁画とは、大画面のふすまや室内の壁などに、背景に金箔を貼り、極彩色で描いた絵のことです。

豪壮華麗な永徳の金碧障壁画は天下人に好まれ、織田信長の安土城、秀吉の聚楽第じゅらくだいや大坂城をはじめ、各地の城や御殿を彩り、ひいては桃山時代の絵画様式そのものとなりました。

【大人の教養・日本美術の時間】日本スター絵師列伝 vol. 5 狩野永徳

その後、江戸時代、太平の世を迎えると、金碧障壁画の主流は豪快さから優美さへと変化し、二条城大広間の襖絵をはじめ、大名家の邸宅を飾りました。

金色の背景がもたらす効果

金碧障壁画の背景の金地は、描かれたモチーフの向こう側に広がる空間を示しています。

中世ヨーロッパのキリスト教絵画では、聖なる光を表現するために金彩色や金箔が使われましたが、ルネサンス以降、陰影法や遠近法による立体感や空間表現が重視され、画面を平面化してしまう金はあまり使われなくなります。

一方、もともと平面的な日本の絵画では、金箔の平面性は邪魔にならず、むしろ、豊かな装飾性や輝きが活用されました。光を受けて繊細に輝く金箔は、閉鎖的な書院造りの室内に明るさをもたらし、また、とりわけ屏風絵では、屏風は交互に折り曲げて立てるため、光の反射によって金地空間の奥行きがさらに広がります。

金箔とは?

それではここからは、金箔とは何か、一般的な扱い方やその仲間をご紹介しましょう。

金箔は、純金だけで作ると軟らかすぎるため、少量の銀と銅を混ぜて合金を作り、それをたたいて延ばします。その薄さはなんと、約1万分の1ミリ。息がかかるだけでめくれたり、破れたり、くっついたりするので、慎重に扱わなくてはなりません。なお、銀や銅の量によって金箔の色味が微妙に変わります。

(鮫島圭代筆)

箔を画面の上に貼ることを「箔押し」といいます。

金箔は、1枚ごとに薄い保護紙が挟まれた状態で販売されています。まず、金箔の上に薄紙を載せ、軽くなでて薄紙にくっつけます。これを「箔をあかす」といいます。そして、箸などで薄紙と金箔を一緒につまみ上げます。

金箔を貼る場所には、あらかじめ刷毛はけ礬水どうさを塗っておきます。礬水とは、にかわ(動物や魚の骨や皮から抽出したゼラチン質)に明礬みょうばんを混ぜた接着剤です。

金箔を薄紙ごと画面に載せてから薄紙を取り去ります。複数の金箔を隣り合わせに貼っていく場合は、3ミリほど重なるように貼ります。

一晩おいて乾かしてから、表面に薄い礬水を引きます。こうすると丈夫になり、つや消しになると同時に、金箔の上にも絵を描くことができるようになります。

金泥

箔を粉状にしたものを「でい」といいます。

「金泥」は、薄い膠液を加えて指で練り混ぜ、温めて水分を蒸発させて光沢を出し、さらに膠液を加えて上澄みを捨てるなどして準備します。絵の具のように筆で自在に描くことができます。

砂子、切箔、野毛

金箔を細かくして使う「砂子すなご」、「切箔きりはく」、「野毛のげ」もご紹介しましょう。平安時代、和歌や経文などを書く紙を装飾する技法として発展しました。

「砂子」は、竹製の筒の片側に金網を張った「砂子筒」に箔を入れ、筆でき回して細かくしたものです。網目の大きさにより粒の大きさが変わります。礬水を引いた画面にいて定着させます。

「切箔」は、箔を小さく切って画面にまき散らす装飾です。1ミリ角以下の四角形に切ったものを「山椒さんしょう」、約2~3ミリ角のものを「あられ」、約5~6ミリ角のものを「小石」といい、それ以上のものを「大石」といいます。

一方、箔を糸状に細く切ったものは「野毛」といいます。

截金

截金きりかね」は、複数の金箔を熱で貼り合わせて厚みを持たせ、細い線や小さな三角形、四角形、菱形ひしがたなどに切り、それを組み合わせて絵や模様を表す技法です。箔はくっつきやすいため、両手で1本ずつ筆を持ち、穂先で慎重に取り扱います。截金は、古来、主に仏像や仏画に用いられてきました。

(鮫島圭代筆)

障壁画や屏風絵では、ときに金箔のほか、金泥や切箔などがさまざまに取り混ぜられました。日本では伝統的に絵画と工芸を分ける意識がなく、仏像や料紙で発展した技法も絵画に活用されたのです。

「黄金の国」日本で育まれてきた金色の世界は奥深いですね。

※11月29日まで東京国立博物館で開催中の特別展「桃山-天下人の100年」では、室町時代末から江戸時代初期の華やかな金碧障壁画の至宝がご覧になれます。

特別展「桃山―天下人の100年」 公式サイトはこちら

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

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