2020.12.18

【大人の教養・日本美術の時間】都会の美術館探訪 vol. 7 山種美術館

都会には隠れ家のような美術館が点在しています。それは、慌ただしい日常から私たちを解き放ってくれるオアシスのような存在。

美術館の歴史は、美術を愛した人たちの歴史です。代々守り伝えた家宝、あるいはビジネスの傍ら私財を投じて集めた名宝を公開することで、芸術の恵みを広く分かち合おうとした人々。シリーズ「都会の美術館探訪」では、彼らの豊かな人生と美術館をご紹介します。

アートが深く根差した社会は豊かです。日本のビジネスパーソンに美術愛好家がもっと増えることを願って――。

山種美術館外観(山種美術館提供)
波乱万丈に生きた実業家のコレクション

山種美術館は、東京の恵比寿駅を降りて、駒沢通りを10分ほど歩いた高級エリア・広尾にあります。山種証券(現・SMBC日興証券)や辰巳倉庫(現・ヤマタネ)で知られる実業家・山崎種二たねじのコレクションをもとに、昭和41年(1966年)、日本初の日本画専門の美術館として開館しました。

種二は明治26年(1893年)、群馬の農家に生まれ、尋常小学校を卒業後、遠い親戚の山崎繁次郎が営む東京の大きな回米問屋・山繁商店の小僧となりました。借金に苦しむ実家のため、無我夢中で働き、やがて米相場師の道にも踏み出します。

第1次世界大戦下の兵役や災害、米騒動などの苦難を経て、27歳の時、ひと目惚めぼれした名士の娘・萩原ふうと結婚。大正12年(1923年)夏、長女が誕生しますが、その1か月後、関東大震災で東京は焼け野原と化しました。

山崎種二(鮫島圭代筆)

種二はこれを機に独立し、回米問屋を開きます。亡き山崎繁次郎の古画収集をそばで見ていた影響もあり、狭いながらも店を持てた喜びから絵を求め、酒井抱一さかいほういつの作という掛け軸を買いましたが、のちに偽物とわかって、古画の収集は断念。その後、三越百貨店の美術部に勤める桜井猶司(のちに画廊・兼素洞を経営)と知り合ったことで、同時代を生きる画家の作品収集に乗り出します。

種二は、絵を眺めて仕事の疲れを癒やすとともに、相場師らしく、投資としての関心も持ち合わせていました。ある時、中堅の画家10人に一幅150円(今の貨幣価値では数十万円) ずつを払って描いてもらったとか。

第2次世界大戦では、東京大空襲で家が焼け、種二は多くを失いました。敗戦直後、株や絵画の財産税を捻出するため、やむなく横山大観よこやまたいかん橋本雅邦はしもとがほうなどの絵を数多く手放したといいます。

美術館の設立を思い立ったきっかけは、とりわけ親しかった大観にこう言われたからだと伝わります。

「金もうけされるのも結構だが、このへんでひとつ世の中のためになるようなこともやっておいたらどうですか」

昭和38年(1963年)、種二は夢の実現のために動き出しました。本社ビルの建て替えに際し、美術館の併設を計画したのです。70歳にして、人生最後の大仕事でした。種二は最高の美術館とすべく、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)、サントリー美術館、五島美術館などを見て歩き、美術館部分の設計を、東宮御所や帝国劇場で知られる建築家・谷口吉郎たにぐちよしろうに、そして、館内に付設する茶室は、裏千家の千宗室せんそうしつに依頼しました。

3年後、日本橋・兜町に9階建ての本社ビルが竣工。8、9階を占める美術館は、日本画の鑑賞に適した数寄屋風の落ち着いた空間で、開館式には、高松宮宣仁親王たかまつのみやのぶひとしんのう喜久子きくこ妃の両殿下も列席しました。

種二は開館に際し、「美術を通じて社会、特に文化のため大いに貢献したい」と語ったといいます。

これを機に社長職を息子たちに譲り、昭和58年(1983年)、90年に及ぶ波乱の生涯に幕を閉じました。

それに先立つ昭和51年(1976年)、館長職を次男・山崎富治とみじが引き継ぎました。1998年には、設備の老朽化に伴い、千代田区三番町に仮移転。時を経て、2007年には、富治の娘・山崎妙子たえこが3代目館長となり、2009年、現在の広尾に移りました。新築された建物には、石や木材など、日本画を引き立てる自然素材が多用され、やさしく包み込むようなこだわりのある照明のもと、日本画の繊細な質感や色合いを堪能できます。

近代日本画の殿堂で優雅なひと時を

現在、所蔵品数は約1800点にのぼります。速水御舟の作品120点、奥村土牛おくむらとぎゅうの作品135点をはじめ、横山大観、川合玉堂かわいぎょくどう竹内栖鳳たけうちせいほう上村松園うえむらしょうえん、東山魁夷などの近代を代表する日本画、そして古画や浮世絵、油彩画まで含まれます。

横山大観「心神」
1952年(昭和27年) 山種美術館

種二は「絵は人柄である」という信念のもと、多くの画家と親交を結び、若手の支援にも尽力しました。そのため、画家たちは「山崎さんに良い絵を」という特別な思いを抱いたといい、所蔵品には各画家の代表的な作品がそろっています。

昭和51年(1976年)、開館10周年記念として速水御舟の展覧会を企画していたところ、旧安宅あたかコレクションの御舟作品100点以上を一括購入する話が舞い込みました。2代目館長の富治はすぐさま、父・種二に相談し、購入を即決したといいます。なかでも、炎の周りを舞うを神秘的に描いた「炎舞えんぶ」(重要文化財)は、山種美術館の顔といえる作品です。

重要文化財 速水御舟「炎舞」
1925年(大正14年) 山種美術館

もうひとつの人気作品といえば、竹内栖鳳の「班猫はんびょう」(重要文化財)です。近代日本の動物画の傑作として知られ、ふわふわの毛並みや、しなやかな動きに魅了されるのは、猫好きだけに限りません。

重要文化財 竹内栖鳳「班猫」
 1924年(大正13年) 山種美術館

美術館に足を踏み入れると最初に迎えてくれる作品、陶板壁画「千羽鶴」も見逃せません。2代目館長・富治が親交を結んだ加山又造かやままたぞうに制作依頼した作品で、金彩で琳派りんぱ風に描かれた鶴の群れが華やかです。

美術鑑賞のあとは「Cafe 椿」でひと休み。店名の由来は、所蔵品の速水御舟「名樹散椿めいじゅちりつばき」(重要文化財)です。一面ガラス張りの陽光降り注ぐ空間で、イチョウ並木を眺めながら、展示中の作品に登場する花や動物などをモチーフにした和菓子を味わえます。

Cafe 椿(山種美術館提供)

※2021年1月24日まで開催中の特別展「東山魁夷と四季の日本画」(開催概要⇩)では、種二が制作を依頼した「満ち来る潮」を含め、魁夷ならではの静謐せいひつで情感あふれる風景画を堪能できます。

鮫島圭代

プロフィール

美術ライター、翻訳家、水墨画家

鮫島圭代

学習院大学美学美術史学専攻卒。英国カンバーウェル美術大学留学。美術展の音声ガイド制作に多数携わり、美術品解説および美術展紹介の記事・コラムの執筆、展覧会図録・美術書の翻訳を手がける。また水墨画の個展やパフォーマンスを国内外で行い、都内とオンラインで墨絵教室を主宰。https://www.tamayosamejima.com/

開催概要

日程

〜2021.1.24

平日 10:00 a.m.~4:00 p.m.
土・日・祝 10:00 a.m.~5:00 p.m.
(入館は閉館の30分前まで)

会場

山種美術館

東京都渋谷区
広尾3-12-36

料金

一般:1300円
大学・高校生:1000円
中学生以下:無料(付き添い者の同伴が必要)
※障がい者手帳、あるいは被爆者健康手帳の提示者とその介助者1人は1100円 、大学・高校生の場合は900円
※きもの姿での来館者は一般が200円引き、大学・高校生は100円引き
※入館日時のオンライン予約も可

休館日

月曜
※1月4日、1月11日は開館、1月12日(火)は休館
※12月28日(月)~1月2日(土)は年末年始のため休館

お問い合わせ

Tel. 050-5541-8600(ハローダイヤル)

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