2020.2.3

【ボンボニエールの物語vol.15】高松宮の物語 その1

箱形梅散文 高松宮宣仁親王成年式 大正14年(1925年)(個人蔵)

前回、学習院大学史料館が、平成18年(2006年)に高松宮家よりゆかりの品々の御寄贈を受けたお話をした。そこで今回は、高松宮宣仁のぶひと親王のお話(その1)をすることにしよう。

高松宮宣仁親王

高松宮宣仁親王は、皇太子嘉仁よしひと親王・節子さだこ妃(後の大正天皇・貞明ていめい皇后)の第三皇子として、明治38年(1905年)1月3日にお生まれになった。ご称号は光宮てるのみや、お印は若梅である。生後10か月で宮中の慣例にならい、母宮と離れ、2人の兄宮――迪宮みちのみや裕仁ひろひと親王(後の昭和天皇)と淳宮あつのみや雍仁やすひと親王(後の秩父宮)――と共に、赤坂御用地内の皇孫こうそん仮御殿かりごてんで過ごした。

明治44年(1911年)には、四谷にある学習院初等学科へ入学し、赤坂御用地からランドセルを背負って、兄宮とともに徒歩で通学した。当時の学習院長は、陸軍大将として有名な乃木のぎ 希典まれすけで、「寒中でも水で顔を洗え」など質実剛健の教育が実践されていた。皇族の徒歩通学もその一環であった。

通学時に、今は多くの子供たちが使うランドセルは、明治18年(1885年)5月に学習院が通学かばんとして採用したのがその発祥である。

宣仁親王所用ランドセル 明治44年(1911年)(学習院大学史料館蔵)
有栖川宮家を継承

ところで、皆さまは有栖川宮ありすがわのみや威仁たけひと親王を覚えていらっしゃるだろうか。(⇒【ボンボニエールの物語 vol. 5】明治のボンボニエール 有栖川宮家の物語

外国生活が長く、ボンボニエールも早くから導入していたセレブリティ・有栖川宮威仁親王は、明治天皇の信任が厚く、皇太子(後の大正天皇)の教育係にも任命された。

その威仁親王は52歳という若さで大正2年(1913年)7月5日に薨去こうきょされた。跡取りとなる第一王子栽仁たねひと王も、明治41年(1908年)に20歳の若さで死去しており、有栖川宮家は断絶の運命にあった。

大正天皇は、有栖川宮家の幕末以降の功労に鑑み、当時8歳だった宣仁親王に有栖川宮家の旧宮名である「高松宮」の号を与え、有栖川宮の祭祀さいしを将来的に受け継がせることとした。高松宮家の家紋は、有栖川宮家紋である「三ツ割菊」の中に天皇家紋を入れた図柄となった。

高松宮を継承した宣仁親王はその後、大正9年(1920年)4月に学習院中等科を3年で退学し、江田島海軍兵学校予科に入学した。大正13年(1924年)に海軍兵学校を卒業、翌大正14年(1925年)12月1日には海軍少尉に任官された。

成年式のボンボニエール

この同じ年、大正14年1月3日、宣仁親王は20歳となり、1月13日に皇居で成年式をあげられた。

皇族は天皇・皇太子・皇太孫は18歳で、その他の皇族は20歳で成年となる。皇族男子の成年式では、成年になった証しとして冠が授けられる(「加冠かかんの儀」)。

加冠の儀では、未成年の装束である闕腋袍けってきのほう(両脇の袖付けの下を縫い合わせない)に白絹しろぎぬはかま、頭には空頂黒幘くうちょうこくさくという未成年用のかぶりものという姿で、天皇、皇后および参列者の待つ皇居内の広間へ入場する。次いで加冠役かかんやくという、冠をかぶせる役の者が空頂黒幘を外し、成年用の燕尾纓えんびのえいの付いた冠を被せ、冠に掛緒かけおを付けてあごで結び、最後に緒の両端を切り落とす。

今上陛下の成年式の際には、しんとした宮殿内に「パチンパチン」というハサミの音が響き、大変厳かな雰囲気であった。

その後成年した皇族男子は、天皇、皇后の前へ歩み出て感謝の意を奏上する。そして成年の装束である縫腋袍ほうえきのほう(両脇の袖付け下を縫い合わせている)、垂纓すいえいの冠に着替え、宮中三殿を参拝して儀式が終了する。

宣仁親王が成年式を終えた後、1月17日と19日は宮中で午餐ごさん、16日、18日、20~23日は宮邸において祝宴行事が行われ、ボンボニエールも列席者に下賜された。

宮中午餐の際のボンボニエールは、箱形で宣仁親王のお印である梅が雲間に散らされ、真ん中に金色の十六葉じゅうろくよう八重表菊やえおもてぎくの天皇家紋が燦然さんぜんと輝く。そしてこのボンボニエールには、重さ69gと59gの2種類が存在する。同じ慶事の饗宴でも、日によりボンボニエールに差を持たせて下賜する例が多くあることは、前にもお話ししたが(⇒【ボンボニエールの物語vol.11】大正13年 正倉院技法のボンボニエールの物語)、全く同じ意匠で、重さだけ違うパターンは珍しい。

宮邸においての祝宴行事の際のものは、丸形でやはり梅文が散らされたボンボニエールが贈られた。こちらには高松宮家紋があしらわれている。いずれのボンボニエールも純銀で三越製である。

丸形梅散文 高松宮宣仁親王成年式 大正14年(1925年) (個人蔵)

宣仁親王は昭和62年(1987年)2月3日、82歳で薨去された。宣仁親王にはこの後も度々ご登場いただき、物語を紡いでいただこうと思う。

ランドセルについて紹介した学習院大学史料館ミュージアムレター はこちら

⇒ 学習院大学史料館ミュージアムレターNo.3

長佐古美奈子

プロフィール

学習院大学史料館学芸員

長佐古美奈子

学習院大学文学部史学科卒業。近代皇族・華族史、美術・文化史。特に美術工芸品を歴史的に読み解くことを専門とする。展覧会の企画・開催多数。「宮廷の雅」展、「有栖川宮・高松宮ゆかりの名品」展、「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」展など。著作は、単著「ボンボニエールと近代皇室文化」(えにし書房、2015年)、共著「華ひらく皇室文化-明治宮廷を彩る技と美―」(青幻舎、2018年)、編著「写真集 明治の記憶」「写真集 近代皇族の記憶―山階宮家三代」「華族画報」(いずれも吉川弘文館)、「絵葉書で読み解く大正時代」(彩流社)など。

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