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2021.11.24

【ソフィーの眼】創作意欲をかき立てる日本美術

アイリーン・グレイとシャルロット・ペリアン

神奈川県立近代美術館・鎌倉で2011~12年に開かれた「シャルロット・ペリアンと日本」展から(同館提供)

日本のアートやデザインは、西洋のアーティストたちの創作意欲をかき立ててきた。日本風が欧州を席巻した19世紀後半から今日に至るまで、西洋の無数の創作家たちにとって、アイデアの豊かな源泉であり続けてきたのである。

欧米の数え切れないほどのアーティストが「日本の美」に触発され、その経験を様々な方法で自らの作品に取り入れてきた。ゴッホ、モネ、ロートレック、ホイッスラー(筆者注:いずれも日本の版画を収集したことが知られる)のほか、エミール・ガレ、19世紀末のナビ派などは、日本のアートに感化されたことがあまねく知られている。ラファエル前派や、 北欧出身のムンクのような創作家もいる。

日本の漆器に魅せられたアイリーン・グレイ

ごく最近のことだが、〔訳者注:欧州の〕2人の女性デザイナーに思いを巡らせる機会があった。いずれも日本に触発されたことが知られているが、そのされ方は違う。1人は訪日経験さえないが、その作品に影響がはっきりと表れていた。もう1人は仕事をするために、しばらく日本に滞在した。アイリーン・グレイ(1878~1976年)とシャルロット・ペリアン(1903~99年)は1世代、年が離れていたが、いずれも先駆的な存在だった。

アイリーン・グレイはアイルランド人だが、ロンドンやパリで芸術活動に携わり、家具やインテリアのデザイナー、さらには建築家として名を知られた。パリで1976年に他界している。彼女は20世紀初頭のパリで、戸棚の作り方や、意外にも漆器を、日本の工芸家から学んだのだ。

日本の漆器は、16世紀末に欧州に輸入されるようになってから、高く評価されてきた。19世紀半ばには日本の鎖国が解かれ、より多くの美術品が市場に出回るようになり、博物館・美術館のコレクションに収まった。 漆器に関心を抱いたグレイは、その技をマスターしようと、1906年、パリに到着してまだ間もなかった漆芸家の菅原精造(1884~1937年)を訪ねたのだ。日本の漆器は作るのに手間暇がかかるが、菅原はそれを彼女に伝授し、2人のコラボレーションはその後長く続いた。工房も同じスペースを共用した。

漆が醸す、光沢のある表面に魅せられたグレイは、さまざまな材料、塗料、仕上げ剤を試した。日本からさまざまな材料を取り寄せ、菅原のように、パリ在住だった日本の職人たちを雇い入れた。先駆的なデザイナーとしての地位を築いたグレイは、漆を施した小物や家具のほか、アールデコ〔訳者注:20世紀初頭に興った装飾様式〕の時代に大流行した漆の屏風びょうぶなどを制作した。

グレイはほぼ四半世紀にわたり、自らの体験やレシピのほか、彼女のきちょうめんさを物語るような諸々のことを、ノートブックにしたためた(漆に関する彼女のノートブックは、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵となっている)。〔訳者注:グレイの漆へのこだわりに注目した〕1975年制作の「アクエリアス」という英国のテレビ番組では、「漆にはいつも心を奪われた」と本人が語っている。

神奈川県立近代美術館・鎌倉で2011~12年に開かれた「シャルロット・ペリアンと日本」展から(同館提供)
「家具」を再発明したシャルロット・ペリアン

シャルロット・ペリアンは、出身地のパリで装飾美術を学んだ。現代的な素材や技術に興味を寄せ、やがて、建築を学ぶため、また、内装品の担当者として、ル・コルビュジエ〔訳者注:フランスで活躍した建築家〕の事務所に入った。そこで日本の同業者たちと親しい関係を築き、その縁で、旧商工省〔訳者注:後の通産省)から、産業デザインの省付顧問にと招かれたのである。1940年に訪日し、滞在は2年に及んだが、その経験が彼女のデザインに多大な影響を与えた。他方、彼女は自身の実践的な感性を柳宗理そうり(1915~2011年)〔訳者注:インダストリアルデザイナー〕に伝授した。柳は、日本各地の工芸センターや職人たちを彼女が訪問するプログラムの公式ガイドを務めた。桂離宮(京都市西京区)を視察したペリアンは歓喜し、「建築と二次的自然(人の手が加わった自然)と人」の完全調和、内装・外装デザインの完璧な表現がそこにある、と語った。

神奈川県立近代美術館・鎌倉で2011~12年に開かれた「シャルロット・ペリアンと日本」展から(同館提供)

ペリアンは日本で知った素材の力学的特性に着目し、それらを使って、それ以前に制作した家具類を作り直した。例えば、竹である。彼女は1920年代末のパリで、ル・コルビュジエやピエール・ジャンヌレ〔訳者注:スイスの建築家〕と鋼管のシェーズ・ロング(長いす)を制作したが、竹に優れた弾性や抵抗性があると知って大いに喜び、同じ長いすを、木製の台に竹ひごを取り付けた新デザインで作り上げた。訪日の成果として、ペリアンは日本の伝統技能を活用する新デザインをいくつも発案し、それがまた、東京と大阪の高島屋で1941年に開催された「選択、伝統、創造」展(訳者注:正式名「ペリアン女史 日本創作品展覧会 2601年住宅内部装備への示唆」展)につながったのである。

神奈川県立近代美術館・鎌倉で2011~12年に開かれた「シャルロット・ペリアンと日本」展から(同館提供)

ペリアンは日本の建築の内と外の調和だけでなく、内部空間の自在な利用の仕方にも感心していた。彼女は戦後になっても、フレンチ・アルプスにあった自分のシャレー(木造家屋)で内部空間と〔訳者注:障子やふすまのように〕スライド式の扉と収納具の構成を和風に仕立てるなど、作品に日本の要素を取り入れた。ペリアンの代表作である組み立て式書棚「ヌアージュ」(仏語で「雲」)は、彼女がかつて訪れた皇族の別邸(訳者注:桂離宮)で見て素晴らしいと思った、雲が浮かぶように非対称的に配置された棚などから着想が得られた。旅行家で、疲れ知らずの働き者であるペリアンは、1950年代末に再度、訪日した。

神奈川県立近代美術館・鎌倉で2011~12年に開かれた「シャルロット・ペリアンと日本」展から(同館提供)

アイリーン・グレイとシャルロット・ペリアンは今、モダニズムデザインで最も名を知られる女性たちだ。創造性に富んでいた彼女たちは、2人が活躍した当時としては、大胆かつ独創的な作品を生み出した。彼女たちの創作は今見ても、素晴らしく斬新だ。日本に創作意欲をかき立てられたという共通点がこの2人にあるという事実にも、私は好感を持っている。

ソフィー・リチャード

プロフィール

美術史家

ソフィー・リチャード

仏プロヴァンス生まれ。エコール・ド・ルーヴル、パリ大学ソルボンヌ校で教育を受け、ニューヨークの美術界を経て、現在住むロンドンに移った。この15年間は度々訪日している。日本の美術と文化に熱心なあまり、日本各地の美術館を探索するようになり、これまでに訪れた美術館は全国で200か所近くを数える。日本の美術館について執筆した記事は、英国、米国、日本で読まれた。2014年に最初の著書が出版され、その後、邦訳「フランス人がときめいた日本の美術館」(集英社インターナショナル)も出版された。この本をもとにした同名のテレビ番組はBS11、TOKYOMX で放送。新著 The Art Lover’s Guide to Japanese Museums(増補新版・美術愛好家のための日本の美術館ガイド)は2019年7月刊行。2015年には、日本文化を広く伝えた功績をたたえられ、文化庁長官表彰を受けた。(写真©Frederic Aranda)

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